短い主題から生まれた、第18変奏の歌

ピアノが静かに歌い始め、その旋律を弦楽器が受け継ぐと、音楽が大きく広がっていきます。《パガニーニの主題による狂詩曲》の第18変奏は、ラフマニノフを代表する名旋律の一つです。
そのもとになったのは、曲の前半で聞こえる、短く歯切れのよいパガニーニの主題。同じ材料から、どうしてこれほど表情の異なる音楽が生まれるのでしょうか。
1分でわかる《パガニーニの主題による狂詩曲》
ラフマニノフが1934年、61歳のときに書いた、ピアノと管弦楽のための作品です。パガニーニの《24のカプリース》第24番の主題を材料に、24の変奏を組み立てています。
約22〜25分の全曲には、鋭いリズム、舞曲の身振り、ゆったりした歌、華やかな独奏が次々に現れます。途中には、死や最後の審判と結びつく聖歌《怒りの日》も加わり、音楽に重い影を落とします。
聴く入口は第18変奏がおすすめです。主題の音の進む向きを反転させて生まれた旋律が、豊かな歌へと育っていきます。全曲を聴くときは、主題より先に変奏が始まる冒頭と、大きな盛り上がりを短く切り上げる結末にも注目してください。
まず聴くならここ――第18変奏
最初にピアノが示す旋律と、弦楽器が受け継いだあとの響きを聴き比べてみてください。独奏の親密な歌が、管弦楽へ広がっていく変化を味わえます。
基本情報
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 作曲者 | セルゲイ・ラフマニノフ(1873〜1943) |
| 作品名 | パガニーニの主題による狂詩曲 イ短調 Op.43 |
| 原題 | Rhapsody on a Theme of Paganini |
| 作曲 | 1934年夏、スイスの別荘セナールにて |
| 初演 | 1934年11月7日、アメリカ・ボルティモア |
| 初演者 | ラフマニノフのピアノ独奏、レオポルド・ストコフスキー指揮、フィラデルフィア管弦楽団 |
| 構成 | 序奏、主題、24の変奏。ただし第1変奏が主題に先行 |
| 編成 | 独奏ピアノ、木管楽器、金管楽器、ティンパニと打楽器、ハープ、弦楽器 |
| 演奏時間 | 約22〜25分 |
「主題」とは、変奏のもとになる旋律です。そのリズムや音の動き、速さ、伴奏などを変え、一つの材料から異なる音楽を生み出すのが変奏曲の基本的な仕組みです。
セナールで生まれた、最後のピアノと管弦楽のための作品

演奏旅行の合間に確保した、作曲の時間
1917年にロシアを離れたラフマニノフは、国外でピアニストとしての活動に多くの時間を費やしました。演奏旅行は家族の生活を支える一方、作曲に集中する時間を取りにくくするものでもありました。
1930年代には、スイスのルツェルン湖畔に別荘セナールを構えます。その名前は、セルゲイの「Se」、妻ナターリヤの「Na」、ラフマニノフの「R」を合わせたものです。
この夏の住まいで、1934年に《パガニーニの主題による狂詩曲》が生まれました。作曲に要したのは、およそ7週間。すでに四つのピアノ協奏曲を書いていたラフマニノフにとって、新作としては、これが最後のピアノと管弦楽のための作品となります。[2][3]

多くの作曲家を引きつけた、パガニーニの主題
パガニーニは、驚異的な演奏技巧で19世紀の聴衆を魅了したヴァイオリニストです。無伴奏ヴァイオリンのための《24のカプリース》は、その技巧をさまざまな角度から示す作品集で、最後の第24番は、それ自体が主題と変奏でできています。
第24番の主題には、短い音型の繰り返しと、輪郭のはっきりしたリズムがあります。音を飾ったり伴奏を変えたりしても、もとの旋律を感じ取りやすく、変奏の材料として多くの作曲家に用いられてきました。[3][4]
リストの《パガニーニ大練習曲》第6番、ブラームスの《パガニーニの主題による変奏曲》Op.35も、同じ主題を使っています。ラフマニノフは、ピアノと管弦楽による音色の変化や旋律の受け渡しを加え、この主題から新しい演奏会用作品を生み出しました。

音楽をたどる――24の変奏を、大きな流れで聴く
全曲は、活発な前半、舞曲や歌が展開する中間部、技巧的な終盤という流れで捉えると追いやすくなります。
独立した三つの楽章があるわけではありませんが、全体には協奏曲の「速い楽章―緩やかな楽章―フィナーレ」にも通じる起伏があります。ただし、中間部にも力強い変奏や速い独奏があり、ずっと穏やかな音楽が続くわけではありません。

序奏・第1変奏・主題〜第6変奏――全体像を、あとから聴かせる
短く鋭い序奏のあとに続くのは、主題を骨組みだけにしたような第1変奏です。旋律を十分に聴かせる前に、少ない音でリズムと輪郭を示します。
そのあと、ヴァイオリンが主題を提示します。ピアノは簡潔な音で伴奏に回り、ここで初めて、パガニーニから借りた旋律の全体像がはっきりします。
普通の変奏曲のように「主題を聴いてから、その変化を追う」という順序を入れ替えた始まりです。断片を先に聴いているため、主題が現れると、それまでの音が一つの形にまとまるように感じられます。
第2〜第6変奏では、細かな音を走らせるピアノと、管弦楽の応答が続きます。短い音型の受け渡しやアクセントの位置を追うと、音楽の機敏な動きが伝わってきます。
第7〜第10変奏――《怒りの日》が加わる
第7変奏では、ピアノに長い音で奏される重い旋律が現れます。これが、死者のためのミサで歌われてきた聖歌《怒りの日》です。ラテン語では「Dies irae」といい、歌詞は最後の審判を扱っています。
ピアノがその旋律を示す一方、ファゴットとチェロにはパガニーニの主題の断片が聞こえます。[4][5]
第8、第9変奏で鋭い動きが続いたあと、第10変奏では《怒りの日》がいっそう強く押し出されます。冒頭の軽快さに、威圧的な響きや重い足取りが加わっていきます。
第11〜第15変奏――即興のような独奏から、舞曲へ
第11変奏では、それまでの緊張が緩み、ピアノが自由に音を広げます。弦楽器の細かな震えとハープの響きが、その周囲を彩ります。ここから調や表情の変化が広がり、中間部へ移っていきます。
第12変奏には「メヌエットの速さで」という指定があります。3拍子の舞曲らしい整った足取りが現れますが、その優雅さが長く保たれるわけではありません。続く変奏ではアクセントが強まり、第14変奏になると、厚い和音と行進曲を思わせる力強さが前に出ます。
第15変奏は、すばやいピアノ独奏の見せ場です。直前までの重みを振り払うように、細かな音が駆け抜けます。
第16〜第18変奏――低い響きの先に、歌が開く
第16変奏では独奏ヴァイオリンも加わり、落ち着いた表情が現れます。続く第17変奏では、ピアノの低い音域を中心に、暗く揺れる響きが続きます。
その先で始まるのが、第18変奏です。変ニ長調の明るい響きに変わり、ピアノがゆったりと旋律を歌います。指定は「アンダンテ・カンタービレ」。歩くような速さで、歌うように、という意味です。
弦楽器が旋律を引き継ぐと、ピアノは流れる音型でその歌を支えます。長く音を保てる弦の響きが旋律をつなぎ、音楽は大きな頂点へ向かいます。やがて静かに収まり、中間部を閉じます。
第19〜第24変奏――独奏の技巧と、意表を突く終わり
第19変奏からは、切れのよい動きが戻ります。弦を指ではじくピッツィカートと、ピアノの短く弾む音が、直前の長い歌とは異なる感触を生みます。
そこから終盤へ向け、速い音の連なり、管弦楽の強い応答、独奏者が技巧を集中的に示すカデンツァが続きます。
第23変奏では、ピアノに主題が姿を見せますが、管弦楽が別の調へ急に引き戻すように割り込みます。独奏者が自由に進もうとするところへ合奏が口を挟むようで、両者のやり取りが際立つ場面です。
最後の第24変奏では、金管楽器に《怒りの日》が力強く戻ってきます。このまま大音量で締めくくるかと思わせておきながら、響きは突然小さくなります。パガニーニの主題の短い断片が残り、曲はあっけないほど簡潔に終わります。
まず聴きたい三つの場面

1.冒頭――原曲と聴き比べる
パガニーニの《カプリース》第24番の冒頭を聴いてから、この曲へ戻ってみてください。一挺のヴァイオリンで奏されていた主題が、管弦楽のヴァイオリンとピアノに分けられることで、音楽の広がり方が変わります。
2.第7変奏――ピアノと低い楽器を分けて聴く
最初はピアノのゆっくりした旋律を追い、二度目には周囲のファゴットやチェロへ耳を移してみてください。一度に全体を聴くよりも、二つの旋律がどう組み合わされているかをつかみやすくなります。
3.第23〜第24変奏――独奏と合奏の主導権を追う
終盤は、ピアノの速さに加えて、管弦楽がどこで流れを変えるかにも注目してみてください。強い合奏のあとに残る小さな音まで聴くと、最後の切り替えの鮮やかさがわかります。
第18変奏の旋律は、どう作られているのか

第18変奏の核となるのは、主題の音の進む向きを反転させる「反行」という手法です。上がる動きを下がる動きへ、下がる動きを上がる動きへと置き換えます。

ラフマニノフは、パガニーニの主題の一部にこの考え方を用い、さらに長調の響きとゆったりした速さを与えました。原曲の鋭いリズムで聞こえていた音のまとまりが、なめらかに歌う旋律へ変わります。[4][8]
伴奏も印象を大きく左右します。旋律の下を流れる音型と、少しずつ移り変わる和声によって、短い主題から生まれた音楽が長い呼吸を持つようになります。
主題を知ったうえで聴くなら、音の高さを一つずつ照合するより、旋律の輪郭を比べてみてください。曲の途中に別の旋律が挿入されたように聞こえる場面にも、もとの主題とのつながりがあります。
初演から広がった成功と、自作自演の録音
1934年11月7日、ボルティモアでの初演では、ラフマニノフ自身がピアノを弾きました。指揮はストコフスキー、管弦楽はフィラデルフィア管弦楽団です。

作品は早くから好評を得ました。ニューヨークで、ブルーノ・ワルター指揮のニューヨーク・フィルと共演した際にも、批評家ロバート・A・サイモンは、ラヴェル《ボレロ》以来の成功を収めた新しい演目として評価しています。[3]
その年の12月24日には、初演と同じストコフスキー、フィラデルフィア管弦楽団との組み合わせで録音も行われました。完成した年の演奏を、作曲者本人のピアノで聴けるのです。[9]

自作自演と現代の録音を比べるなら、同じ変奏を一つ選ぶと違いがわかりやすくなります。第18変奏で旋律をどのくらい前へ進めるのか、速い変奏でアクセントをどう際立たせるのか。速さだけでなく、音のつなぎ方や間の取り方にも耳を向けてみてください。
《怒りの日》と悪魔伝説――のちにバレエへ
パガニーニには、超人的な技巧を得るために悪魔へ魂を売った、という伝説がつきまといました。もちろん、これは人々の驚きや想像から生まれた伝説です。
《怒りの日》も、19世紀以降の器楽曲では、死や不気味な力を連想させる旋律として使われました。ラフマニノフ自身も、《死の島》や《交響的舞曲》などで取り上げています。この狂詩曲では、そうした連想を持つ聖歌と、パガニーニの主題が組み合わされています。
1937年、ラフマニノフは振付家ミハイル・フォーキンに、作品を使ったバレエの物語を提案しました。パガニーニが芸術の完成と女性への愛のために悪霊へ魂を売るという構想で、《怒りの日》を含む変奏を悪霊に、第11〜第18変奏を恋愛の場面に結びつけています。[6][7]

この構想をもとにしたバレエ《パガニーニ》は、1939年にロンドンで上演されました。
ここで区別しておきたいのは、この物語が作曲後のバレエ化に際して示されたことです。作曲中からどこまで具体的な筋書きを考えていたかは、はっきりしません。第18変奏を恋愛の音楽として受け取る手がかりにはなりますが、特定の出来事を描いた作品と断定する根拠にはなりません。[7]

楽譜で確かめたい方へ
参考資料
- Boosey & Hawkes:作品情報・編成・演奏時間
- Serge Rachmaninoff Foundation:セナールの歴史と名称の由来
- Boston Symphony Orchestra:成立背景・構成・ニューヨークでの反応
- Aspen Music Festival:主題と各変奏の解説
- Indianapolis Symphony Orchestra:各変奏の楽器・性格・構成
- St. Louis Symphony Orchestra:受容とバレエ化の構想
- Houston Symphony:作品解説とフォーキンへの構想
- Los Angeles Philharmonic:作品解説
- National Library of New Zealand:自作自演録音の書誌情報


