チャイコフスキー《交響曲第6番「悲愴」》解説|華やかな行進曲のあと、音楽はなぜ静かに消えるのか

拍手を誘う行進曲の、その先へ

暗い客席の先に暖かな光が残る、無人のコンサートホール
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オーケストラが勢いよく駆け抜け、金管楽器と打楽器が華やかに鳴り響きます。これで全曲が終わったと思い、拍手を送りたくなるほどの締めくくりです。

ところが、チャイコフスキーの《交響曲第6番「悲愴」》には、そのあとにもう一つ楽章があります。弦楽器が嘆くような旋律を奏で、音楽はゆっくりと沈み、最後には低い響きが消えていきます。

華やかな頂点の先に、この静かな結末を置くこと。その構成が、《悲愴》を聴く体験を特別なものにしています。各楽章の音楽と、作曲者が手紙に残した言葉から、この作品をたどってみましょう。

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1分でわかる、この作品

チャイコフスキーの《交響曲第6番 ロ短調 Op.74「悲愴」》は、1893年に完成した最後の交響曲です。暗いファゴットの独奏から始まる第1楽章には、激しい動きと伸びやかな歌が同居しています。第2楽章は5拍子の優雅な舞曲、第3楽章は華やかな行進曲へ発展する音楽。そして第4楽章では、遅いテンポの嘆きが広がり、低い弦の響きのなかで全曲が閉じられます。作曲者は作品に個人的な内容があると伝えながら、その具体的な筋書きを公表しませんでした。初めて聴くなら、第3楽章の大きな盛り上がりから、終楽章へ移った瞬間に注目してください。そこに、この交響曲ならではの構成がはっきり現れます。

まず聴くならここ

第1楽章、弦楽器がゆったりと歌い始める第2主題。

それまでの落ち着かない動きがいったん止まり、長い旋律が静かに広がります。《悲愴》の激しさと歌の豊かさを、一つの楽章のなかで感じられるでしょう。

基本情報

項目内容
作曲者ピョートル・イリイチ・チャイコフスキー(1840〜1893)
作品名交響曲第6番 ロ短調 Op.74「悲愴」
原題Симфония № 6/Патетическая симфония
作曲1893年。2〜3月に草稿を進め、夏に管弦楽化
初演1893年10月28日、サンクトペテルブルク。作曲者自身の指揮
献呈甥のウラディーミル・ダヴィドフ
構成全4楽章
演奏時間約45〜50分。
編成フルート3(第3はピッコロ持ち替え)、オーボエ2、クラリネット2、ファゴット2、ホルン4、トランペット2、トロンボーン3、テューバ、ティンパニ、打楽器、弦楽合奏

《悲愴》が生まれるまで

クズネツォフが1893年に描いた、白髪と髭のチャイコフスキー
チャイコフスキー(1893年)。ニコライ・クズネツォフ画/Public domain。 出典:Wikimedia Commons

新しい交響曲に、もう一度取りかかる

《悲愴》の前に、チャイコフスキーは別の交響曲を進めていました。変ホ長調の作品ですが、出来栄えに納得できず、1892年の末にいったん放棄します。その音楽の一部は、のちに《ピアノ協奏曲第3番》へ使われました。

自分はもう、器楽曲を書く力を失ったのではないか。そんな疑いを抱いた時期を経て、1893年には新しい交響曲の構想が動き始めます。

新しい交響曲の構想を打ち明けた相手は、甥のウラディーミル・ダヴィドフでした。「ボブ」の愛称で呼ばれ、幼いころにはピアノ曲集《子供のアルバム》を献呈された人物です。《悲愴》も、のちに彼へ献呈されます。

1891年に撮影された、若いダヴィドフの立ち姿
ウラディーミル・ダヴィドフ(1891年)。撮影者不詳/Public domain(Commons表記)。 出典:Wikimedia Commons

2月23日、ダヴィドフへ送った手紙で、彼は旅の途中に思いついた交響曲について知らせました。強く個人的な内容を持ち、頭のなかで作曲しながら涙を流したこともあると説明しています。同じ手紙には、まだ創作できると確かめられた喜びも綴られていました。

その段階で、終楽章を騒々しい急速な音楽にはせず、ゆっくりとしたアダージョにする考えが、すでに示されています。

明かされなかった「内容」

チャイコフスキーは、この交響曲に、音楽の背景となる個人的な構想があると伝えています。ただし、その中身は聴く人に推測してもらうとして、公には説明しませんでした。

そのため、各楽章を人生、愛、失望、死などに結びつける読み方が生まれています。関連する構想メモも知られていますが、それを完成した《悲愴》の確定した筋書きとして当てはめることはできません。

8月の手紙では、新作の管弦楽法に苦労しながらも、内容には強い満足を示しています。とりわけ誠実な作品だと考え、大切にしていたことがわかります。8月末には総譜が仕上がり、秋の初演へ向けて準備が進みました。

詩《レクイエム》と、新しい交響曲

初演を前に、作品の性格がうかがえるやり取りが残っています。友人の詩人アレクセイ・アプフチンが亡くなったあと、コンスタンチン大公が、その詩《レクイエム》に音楽をつけてはどうかと提案しました。

椅子の背に肘を置く、若いアレクセイ・アプフチン
アレクセイ・アプフチン(1860年頃の写真)。作者表記:bobrov/Public domain。 出典:Wikimedia Commons

チャイコフスキーは、完成したばかりの交響曲に、この詩と近い気分がすでにあるため、続けて取り組むと自分を繰り返す恐れがあると返しています。詩を読み直したあとの手紙でも、とりわけ終楽章に似た雰囲気があると説明しました。最終的に、この作曲の提案は断っています。

《悲愴》の筋書きが明かされたわけではありませんが、哀悼と作品の雰囲気を結びつける言葉は、作曲者自身も残していたことになります。

「悲愴」という題名の意味

日本語の「悲愴」からは、悲しみに満ちた音楽を想像しやすいでしょう。原語の「パテティーチェスカヤ」には、熱情に満ちた、強く心を揺さぶる、といった意味も含まれます。激しく高揚する場面や切実な歌も、この題名にふさわしい表情です。

命名については、弟モデストが初演後に提案したという回想が広く知られています。ただし、初演前の出版社との書簡にも題名への言及があり、その回想だけでは経緯を説明しきれません。

楕円の枠に収められたモデスト・チャイコフスキーの肖像写真
弟モデスト・チャイコフスキー。撮影者・撮影年不詳(1916年以前)/Public domain。 出典:Wikimedia Commons

一方、初演後の10月30日付の手紙で、作曲者自身が出版社へ「Symphonie Pathétique」と表紙に記すよう求めたことは確認できます。

全4楽章の鑑賞ガイド

第1楽章の序奏と歌、第2楽章の5拍子、第3楽章の行進曲、第4楽章の遅い嘆きと消失を順に示す図
全4楽章の流れ。各段の長さは演奏時間を表していません。

第1楽章|暗い独奏と、長く息づく歌

Adagio — Allegro non troppo

全曲のなかで最も長く、大きな起伏を持つ楽章です。対照的な二つの主題を示し、それらを変化させ、再び戻す「ソナタ形式」が骨格になっています。

始まりは低い弦楽器の響きとファゴットの独奏です。高い音域の華やかさを避けた、奥行きのある暗い音色が耳を引きます。

テンポが速くなると、序奏にあった音の形が、落ち着かない主題へと動き出します。短い音型が繰り返され、楽器が加わるにつれて緊張が高まります。旋律を一度覚えるより、同じ小さな形が音域や楽器を変えて現れることに耳を向けると、流れを追いやすくなります。

やがて勢いが収まり、間を置いて、弦楽器がゆったりとした旋律を奏でます。これが第2主題です。前の音楽が短い動きを積み重ねていたのに対し、ここでは一つの息が長く保たれ、旋律の行き先を待つ時間が生まれます。

歌は大きく膨らんだのち、次第に遠ざかり、極端な弱音へ向かいます。このくだりの終わりには、ファゴットに「p」が六つ並ぶほどの弱音が指定されています。その静けさを破るように、オーケストラが突然強く鳴り、激しい展開が始まります。音量の差に加え、それまで広く歌っていた時間が、細かな動きに切り替わることが衝撃を生みます。

このあとの金管楽器には、ロシア正教会の死者のための祈りに使われる聖歌が引用されています。キリストに死者の安息を願う内容の歌です。

緊張が頂点を迎えたあと、歌う主題が戻ってきます。最初はニ長調だった旋律が、ここではロ長調で奏でられ、楽章はその明るい調性を保って終わりへ向かいます。終わりでは弦楽器のピッツィカート、つまり弦を指ではじく音が下へ進み、その上に管楽器の響きが重なります。激しい衝突を経験した楽章は、静かに閉じられます。

第2楽章|5拍子でも、旋律は自然に踊る

Allegro con grazia

チェロが伸びやかな旋律を奏で、音楽の表情がやわらぎます。ワルツを思わせる優雅な楽章ですが、拍子は通常の3拍子ではなく、4分の5拍子です。

一つの小節に四分音符が五つ入り、基本的には二拍と三拍のまとまりが組み合わされています。「1・2、1・2・3」と数えると、伴奏のまとまりをつかみやすくなります。規則正しい3拍子とは歩幅が違うのに、旋律はなめらかにつながっています。まず旋律を追い、そのあと伴奏に意識を移すと、歌の自然さと拍子の珍しさを別々に感じ取れるでしょう。

中間部ではロ短調へ移り、低音が同じ音を保つなかで、ため息を思わせる下降の旋律が現れます。冒頭の軽やかさがしばらく遠のきますが、やがて最初の舞曲が帰ってきます。

終わりでは舞曲の断片と中間部の余韻が重なり、静かに収まります。

第3楽章|小さな動きが、大きな行進曲へ育つ

Allegro molto vivace

冒頭から弦楽器が素早く動き、木管楽器が軽快に応じます。最初から堂々とした行進曲が鳴るわけではありません。細かな音の流れのなかに、その輪郭が少しずつ現れてきます。

聴きたいのは、行進曲の主題が十分な長さを持って聞こえ始めるところです。クラリネットなどが主題を示し、軽い動きに、はっきりした足取りが加わります。先ほどまで伴奏のように聞こえていた速い音も残り、異なる動きが重なることで推進力が増していきます。

後半、行進曲はオーケストラ全体へ広がります。金管楽器の厚い響きに大太鼓とシンバルが加わる終盤は、この交響曲でも特に華やかな場面です。

ト長調の力強い終止には、音量も勢いも十分にあり、一つの大きな到達点に着いたと感じさせます。

第4楽章|歌がほどけ、低い響きだけが残る

Adagio lamentoso

「アダージョ・ラメントーソ」は、ゆっくりと、嘆くように、という意味です。第3楽章の明快な終止から、弦楽器の切実な歌へ移ると、音楽の重心が大きく変わります。

冒頭では、一続きに聞こえる主旋律の音を、第1ヴァイオリンと第2ヴァイオリンが交互に受け持ちます。一方が旋律の続きを弾く間、もう一方は別の声部へ移るため、各パートが重なって初めて、耳に残る歌がつながります。

終楽章冒頭6小節。二つのヴァイオリン声部が交差して主旋律を分担する楽譜
終楽章冒頭6小節の譜例。作曲:チャイコフスキー/図版作者表記:Praetorius/Public domain(Commons表記)。 出典:Wikimedia Commons

その後、ニ長調の、やや明るさを帯びた旋律が現れます。音は少しずつ厚みを増し、大きく歌い上げますが、盛り上がりは保たれず、急激に崩れます。嘆きの主題が戻ると、今度は冒頭のように音を交互に受け渡さず、旋律が連続した線で奏でられます。歌はさらに切迫し、強い頂点へ向かいます。

終盤にはタムタムと呼ばれる銅鑼の響きが加わり、金管楽器の静かな和音が続きます。先ほどニ長調で歌われた旋律も、最後にはロ短調へ姿を変えます。低い弦楽器の音が中心となり、響きは薄く、弱くなっていきます。

最後まで聴きたいのは、低音の脈打つような動きです。音楽は途中で切られるのではなく、消える過程そのものを時間をかけて描き、ロ短調のまま全曲を閉じます。

まず聴きたい3つの場面

柔らかな側光に照らされた二つのチェロの胴
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1.第1楽章の第2主題――旋律の「息の長さ」を聴く

音数の多さよりも、一つの歌がどこまで続くかに注目してみましょう。弦楽器の旋律を口ずさむつもりで追うと、どこで力が増し、どこで緩むかがつかめます。

2.第2楽章の冒頭――旋律と伴奏を聴き分ける

一度目はチェロの歌を、二度目はその下の拍子を追ってみてください。同じ箇所でも、聴く層を変えると、優雅さを支えるリズムが見えてきます。

3.第3楽章の終わりから第4楽章へ――続けて聴く

この場面は、できれば楽章ごとの抜粋ではなく、全曲の演奏で聴いてみましょう。第3楽章を聴き終えたときの高揚が、次の一音によってどう変化するかが、いちばんの聴きどころです。

もう一歩深く楽しむために

青緑の空間を左上から右下へ流れる、薄い金色の光の帯
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第1楽章で得られた安らぎは、最後には戻らない

第1楽章はニ長調からロ長調へ、終楽章はニ長調からロ短調へ戻る、第2主題の比較図
両楽章の第2主題の調性を比較した概略図。途中の転調は省略しています。

第1楽章と終楽章には、暗い響きのなかに長調の大きな歌が現れるという共通点があります。その歌が帰ってきたときの調性を比べると、結末の違いが見えてきます。

第1楽章では、第2主題がロ長調へ移り、終わりまでその調性が保たれます。激しい音楽を経て、少なくとも一つの楽章は、穏やかな響きへ落ち着きます。

終楽章でも、ニ長調の旋律が広がるため、明るい結末へ向かう可能性を感じるかもしれません。けれども、最後に戻ってくるその旋律はロ短調です。同じ歌が帰ってきても、先ほどの明るさは回復しません。

終わりへ向かう数分では、弱くなる音量とともに、歌の表情の変化も追ってみてください。

下へ進む音に、耳を向けてみる

第1楽章の終わりにある弦のピッツィカート、第2楽章中間部の嘆くような旋律、第3楽章終盤の勢いのある下降、そして終楽章の歌。同じ下降方向でも、音色、速さ、強さによって、まったく異なる表情になります。

初めは楽章ごとの印象が強く残る曲ですが、この動きに注目すると、性格の異なる部分を横断して聴けるようになります。「下降は必ず悲しみを意味する」と決めず、下降する音がその場で何をしているかを聴くのがポイントです。

楽譜で確かめるなら

IMSLPで《交響曲第6番》の楽譜を見る

初演と、その後の《悲愴》

初演は1893年10月28日、サンクトペテルブルクで行われ、チャイコフスキー自身が指揮しました。

反応を単純な大失敗とまとめるのは正確ではありません。2日後、彼は出版社のユルゲンソンへ、作品は嫌われたというより、いくらか戸惑いを生んだと伝えています。自分ではほかのどの作品より誇りに思っている、という評価も変わりませんでした。また、初演を聴いたコンスタンチン大公は日記に好意的な感想を残しており、聴衆の反応が一様だったわけでもありません。

11月6日、チャイコフスキーは53歳で亡くなります。初演から9日後のことでした。11月18日には、エドゥアルド・ナープラヴニークの指揮で追悼演奏が行われ、交響曲は作曲者の死と結びつけて受け止められるようになります。ピアノ連弾版に続き、1894年には総譜と管弦楽のパート譜も出版され、国外へ広まっていきました。

この時間の近さは、《悲愴》の聴かれ方に大きな影響を与えました。ただし、死後に生まれた意味づけと、作曲時の意図は同じではありません。「遺書として書かれた」「自分の死を予告した」と断定できる根拠はなく、作曲中の手紙には、創作への意欲もはっきり残っています。

次に聴くときは、最後の低音まで

《悲愴》を初めて聴くなら、まずは第1楽章の歌、第2楽章の揺れ、第3楽章の勢いを、それぞれの表情のまま味わってみてください。全体を一色の悲しみで塗らずに聴くと、終楽章への変化がよくわかります。

そして最後は、旋律を奏でる高い弦から、低い弦の響きへ耳を移してみましょう。何が鳴っているかだけでなく、どの音が去り、何が最後まで残るか。《悲愴》の結末は、その小さな変化を聴き取る時間でもあります。

主な参考資料

画像・図解の出典

作曲家と名曲の物語を、
YouTubeでも解説しています。
クラシック音楽の事件簿 — YouTubeで見る
作品解説
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