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1分でわかる、ベートーヴェンの第九 / 基本情報 / 若い日のシラーへの関心が、最後の交響曲へつながる / 四つの楽章をたどる / 「すべての人は兄弟になる」――歌詞は何を歌っているのか / まず聴きたい三つの場面 / 深く楽しむ視点 / 1824年の初演 / 日本の第九と、ヨーロッパの歌
大勢の合唱が「歓喜の歌」を歌う。ベートーヴェンの第九と聞いて、まず思い浮かぶのは、その華やかな場面かもしれません。
けれども、あの旋律が最初に現れるとき、合唱はまだ歌いません。チェロとコントラバスが、低い音域で静かに弾き始めます。その前には激しい響きがあり、それまでの楽章を振り返る場面もあります。
有名な歌へ、音楽はどんな道を通ってたどり着くのでしょうか。
第九を全曲で聴くと、張りつめた響きも、鋭いリズムも、静かな歌も耳に残ります。その時間を経て「歓喜の歌」が現れると、旋律だけを取り出して聴くときとは違う重みを感じられます。
「歓喜の歌」が聞こえるまでと、聞こえてから。その両方をたどってみましょう。
1分でわかる、ベートーヴェンの第九
《交響曲第9番》は、ベートーヴェンが1824年に完成させた、ニ短調・全4楽章の交響曲です。演奏時間は約65〜75分。最後の楽章に4人の独唱者と合唱が加わり、シラーの詩に基づく「歓喜の歌」を歌います。第1楽章は、かすかな響きから力強い音楽が姿を現し、第2楽章では鋭いリズムとティンパニが活躍。第3楽章の穏やかな歌を経て、第4楽章で、それまでの音楽を振り返りながら新しい旋律を探します。「歓喜の歌」は低い弦から始まり、オーケストラ、独唱、合唱へと広がっていきます。終楽章では行進曲風の場面や、全世界への抱擁を呼びかける厳かな合唱も現れ、最後はニ長調の明るい響きで結ばれます。
基本情報
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 作品名 | 交響曲第9番 ニ短調 作品125「合唱付き」 |
| 原題 | Sinfonie Nr. 9 d-Moll, op. 125 |
| 作曲者 | ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(1770–1827) |
| 成立 | 以前からの構想・スケッチを経て、主に1822〜1824年に作曲 |
| 初演 | 1824年5月7日、ウィーンのケルントナートーア劇場 |
| 初演時の年齢 | 53歳 |
| 献呈 | プロイセン王フリードリヒ・ヴィルヘルム3世 |
| 歌詞 | フリードリヒ・シラー《歓喜に寄す》から選択・再構成。冒頭の呼びかけはベートーヴェン自身の言葉 |
| 構成 | 全4楽章。独唱・合唱は第4楽章に参加 |
| 声楽 | ソプラノ、アルト、テノール、バスの独唱と混声四部合唱 |
| 管弦楽 | 木管、ホルン4、トランペット2、トロンボーン3、ティンパニ、弦楽合奏など。終楽章ではピッコロ、コントラバスーン、大太鼓、シンバル、トライアングルも使用 |
| 演奏時間 | 約65〜75分 |
| この記事の対象 | 管弦楽・独唱・合唱による原曲全4楽章 |
「合唱付き」は声楽を含むことを示す呼び名で、最初の三つの楽章はオーケストラだけで演奏されます。終楽章に大規模な独唱と合唱を組み込み、言葉によって作品の主題を伝えた構成が、交響曲の表現を大きく広げました。[1][2][3]
若い日のシラーへの関心が、最後の交響曲へつながる
「歓喜の詩」と交響曲は、初めから一つの計画ではなかった

歌詞のもとになったのは、ドイツの詩人フリードリヒ・シラーが1785年に書いた《歓喜に寄す》です。歓びが人々を結びつけ、友愛の輪を広げていく。その理想を歌う詩に、ベートーヴェンは若いころから関心を寄せていました。
シラーの詩へ音楽を付けようとする考えは、1792〜1793年ごろまでさかのぼります。ただし、第九をその時点から三十年間、書き続けていたわけではありません。詩への長い関心と、後年に具体化した交響曲の計画が、やがて終楽章で結びつきました。
ベートーヴェンは原詩から使う部分を選び、順序を組み替えています。後年にシラー自身が手を入れた詩をもとに、終楽章に合う歌詞を構成したのです。[4]

《合唱幻想曲》にあった、声へ向かう音楽
第九より前の1808年、ベートーヴェンはピアノ、管弦楽、独唱、合唱のための《合唱幻想曲》を作曲しています。ピアノから始まった音楽にオーケストラが加わり、後半では人の声が入る作品です。
ここには「歓喜の歌」とよく似た輪郭の旋律も登場します。器楽で旋律を変奏し、その先に歌声を迎える発想は、第九を考えるうえで大切な先例です。ベートーヴェン自身も1824年の手紙で、第九の合唱による終結を《合唱幻想曲》と関連づけ、さらに大きな規模のものとして説明しています。[13]
ロンドンからの依頼と、ウィーンでの完成

交響曲の成立を後押ししたのは、ロンドンのフィルハーモニック協会でした。1817年には、元弟子フェルディナント・リースを通じ、二つの新しい交響曲と、ベートーヴェン自身の渡英を求める話が届きます。
計画はすぐには実現しません。1822年に交響曲が再び制作の中心へ入り、《ミサ・ソレムニス》や《ディアベリ変奏曲》などの大作と制作時期が重なりながら、1823年には本格的な作曲が進みます。ベートーヴェン・ハウスは、完成を1824年2月としています。
ロンドンとの依頼関係は続きましたが、世界初演はウィーンで実現します。依頼元の協会にも1824年に総譜が送られ、ロンドン初演は翌1825年3月21日となりました。[1][14]
この時期、彼の難聴は著しく進んでいました。演奏を耳で確かめながら舞台全体を指揮することは困難でしたが、複雑な管弦楽と声楽を組み合わせる作曲の仕事は続いていました。
楽譜:IMSLPの作品ページ。利用地域に応じた権利表示をご確認ください。
四つの楽章をたどる|緊張、躍動、静かな歌、そして人間の声

以下の楽章ごとの副題は、この記事の鑑賞案内です。作曲者による標題ではありません。
第1楽章|かすかな響きから、巨大な主題が姿を現す
Allegro ma non troppo, un poco maestoso
ニ短調/ソナタ形式
始まりは、ごく弱い弦の響きです。同じ音を素早く反復する「トレモロ」の上に、短い音の動きが浮かびます。冒頭の響きには長調か短調かを決める音が含まれず、曲全体がどちらへ進むのか、すぐには定まりません。
そこから音が集まり、オーケストラ全体が力強い主題を示します。冒頭の曖昧な響きが、輪郭のくっきりしたニ短調の音楽へ変わる瞬間です。
主題のあとには、やわらかく歌う部分も現れます。それでも、楽章全体の緊張がすっかりほどけることはありません。短い音の動きが繰り返され、楽器同士で受け渡されるうちに、再び強い響きへ向かいます。
ソナタ形式には、主題を示し、変化させ、戻すという大きな流れがあります。この楽章では主題が戻っても、安心して終わりを待てる感じにはなりません。終結部まで大きく広げられ、重い足取りを思わせる音楽を経て、ニ短調の厳しい響きで閉じられます。[5]
第2楽章|ティンパニまでが、リズムの主役になる
Molto vivace — Presto
ニ短調/スケルツォとトリオ
古典派の四楽章の交響曲では、速い第1楽章に続いて緩徐楽章を置く構成がよく見られます。第九では順序を変え、第2楽章に急速なスケルツォ、第3楽章に緩徐楽章を配置しました。前半に、緊張と躍動が続きます。
耳に残るのは、短いリズムのまとまりです。それが弦や管楽器へ入り込み、追いかけ合うように重なります。別々の場所から同じ動きが始まるため、音楽には勢いと密度が同時に生まれます。
ここで注目したいのが、ティンパニの打音です。合奏の迫力を増すためだけの音ではなく、弦や管楽器に交じり、リズムをはっきり語ります。旋律を追っていた耳を打楽器へ移すと、この楽章の仕組みがよく聞こえます。
中間のトリオでは、二拍子となり、ニ長調の明るい流れへ移ります。前半の切迫感から離れ、管楽器ののびやかな響きが広がるところです。その後、最初の鋭い音楽が戻り、終わり近くではトリオがもう一度始まるかと思わせて、短く断ち切られます。[6]
第3楽章|二つの歌を、少しずつ違う光で聴く

Adagio molto e cantabile — Andante moderato
変ロ長調を中心とする緩徐楽章
第3楽章に入ると、それまで前面にあった強い打音や鋭いリズムから離れ、長い旋律を聴く時間になります。速度表示の cantabile は、「歌うように」という意味です。
中心となるのは、性格の異なる二つの旋律。落ち着いた最初の歌と、少し歩みのある次の歌が交替し、戻ってくるたびに聞こえ方を変えます。
とくに最初の旋律は、細かな音で飾られ、流れが豊かになっていきます。旋律の骨格は残っているので、初めに聴いた歌を思い出しながら、その周りに増えた動きを追ってみましょう。これが「変奏」を聴く入り口です。
後半には金管の強い呼びかけも入り、静かな流れに大きな区切りを作りますが、終わりは穏やかです。[7]
第4楽章|楽器が探した歌を、人間の声が引き継ぐ

Prestoに始まり、速度・拍子を大きく変える終楽章
ニ短調からニ長調へ/独唱と合唱を伴う複合的な構成
それまでの三つの楽章が、次々に現れる
静かな第3楽章のあと、第4楽章は激しい響きで始まります。続いてチェロとコントラバスが、何かを話すような、抑揚のあるフレーズを弾きます。
これは、歌で言葉を語る「レチタティーヴォ」を思わせる音楽です。まだ言葉はありませんが、低い弦の動きが、前後の響きに応答しているように聞こえます。
すると、第1楽章、第2楽章、第3楽章を思い出させる音楽が、順に短く現れます。そのたびに低い弦が割り込み、それまでの流れを引き継がずに先へ進みます。
この応答は、過去の主題をいったん退ける身ぶりとしてよく説明されます。それまでの三楽章を振り返ったうえで、新しい旋律を迎える構成です。
やがて、新しい旋律の気配が現れます。ここから、チェロとコントラバスによる「歓喜の歌」の提示へ進みます。[6]
「歓喜の歌」は、まず低い弦だけで始まる
最初の「歓喜の歌」を奏でるのは、チェロとコントラバスだけです。伴奏を付けず、同じ旋律を静かに弾きます。
旋律が繰り返されると、別の楽器が加わり、周囲に新しい動きが付きます。ファゴットなどが添える別の旋律にも耳を向けてみてください。主旋律を覚えたあとなら、その周りに増えていく音も追いやすくなります。やがて歌は、オーケストラ全体の力強い合奏へ広がります。
ここまで聴けば、そのまま歌声へつながりそうにも思えます。ところが、冒頭の激しい響きが戻ってきます。そこで初めて、低い男声の独唱が言葉を発します。
O Freunde, nicht diese Töne!
Sondern laßt uns angenehmere anstimmen,
und freudenvollere.
おお、友よ、このような音ではなく!
そのかわり、もっと心地よい歌を歌おう、
そして、いっそう歓びに満ちた歌を。
この呼びかけは、シラーの詩にはありません。ベートーヴェン自身が加えた言葉です。低い弦が言葉なしに担ってきた、語るような役割を、人間の声が受け継ぎます。[4][6]
独唱から合唱へ、さらに行進曲へ
呼びかけを経て、男声独唱がシラーの詩を歌い始め、合唱が応じます。やがて4人の独唱者も加わり、人の声による多彩なやり取りが広がります。
途中では、音楽が軽快な行進曲風に変わります。大太鼓やシンバル、トライアングルなどが加わり、テノール独唱と男声合唱が、兄弟たちへ進むよう呼びかけます。当時のヨーロッパで親しまれた、トルコの軍楽を思わせる音色を取り入れた場面です。[2][6]
その後には、オーケストラだけで主題を追いかけ合う長い部分が続き、合唱による力強い「歓喜の歌」へ戻ります。行進曲の軽快さと、楽器が追いかけ合う密度を経たあとでは、戻ってきた旋律がいっそう堂々と聞こえます。
「抱きしめ合おう、幾百万の人々よ」という新しい旋律
終楽章には、「歓喜の歌」と並んで大切な、もう一つの旋律があります。
Seid umschlungen, Millionen!
Diesen Kuß der ganzen Welt!
抱きしめ合おう、幾百万の人々よ!
この口づけを、全世界へ!
ここではテンポが落ち着き、男声合唱から大きな呼びかけが始まります。近い音をたどる「歓喜の歌」に比べ、新しい旋律は音の間隔が大きく開くのが特徴です。
後には、この旋律と「歓喜の歌」が同時に重ねられます。最初は片方を、次にはもう片方を追ってみると、二つの歌が組み合わされていることをつかめます。
独唱者たちのゆったりした歌を挟んだのち、終結へ向けて再び速度と勢いが増します。最後はオーケストラが猛烈な速さで駆け抜け、ニ長調で全曲を閉じます。[8]
「すべての人は兄弟になる」――歌詞は何を歌っているのか
冒頭の Freude は「歓喜」「歓び」。詩の中では人に呼びかけるように扱われ、その不思議な力が、慣習によって厳しく分けられたものを再び結ぶと歌います。続く有名な一節が、次の言葉です。
Alle Menschen werden Brüder.
すべての人は兄弟になる。
ここでいう歓びは、個人が楽しい気分になることだけを指していません。歌詞には、友人を持つこと、伴侶を得ること、自然から喜びを受け取ることが挙げられます。人と人のつながりを身近な幸福から歌い起こし、その輪を全世界へ広げていきます。
歌詞の全体には、現代の読者が立ち止まる言葉も含まれます。誰か一人の心さえ自分のものと呼べなかった者は、泣きながらこの集まりを去れ、という趣旨の一節です。無条件に全員を迎える言葉だけが並んでいるわけではありません。
また、星空の上に「愛する父」が住むという表現や、創造主への問いかけもあります。第九の歌詞には、人間同士の友愛と、それを大きく包む宗教的な想像力の両方が息づいています。[8]

まず聴きたい三つの場面
1.第1楽章の冒頭から、最初の強奏まで
小さな音が大きくなる過程と、曖昧な響きが主題の形を持つ瞬間に注目します。
2.第2楽章の、ティンパニがリズムを打ち出すところ
弦や管楽器と同じリズムを、打楽器がどう受け渡すかを追ってみてください。
3.第4楽章の、二つの合唱主題が重なるところ
「歓喜の歌」と「抱きしめ合おう」の旋律を先に覚えておくと、合唱の中で探しやすくなります。
深く楽しむ視点|終楽章の中に、もう一つの交響曲がある

第4楽章は、一つの楽章としては非常に長く、内部に大きな速度と性格の変化があります。主題と変奏の部分、軽快な行進曲、ゆったりした合唱、最後の大規模な終結。音楽学者デイヴィッド・ベンジャミン・レヴィは、こうした構成を、終楽章の中に四楽章の交響曲が含まれるものとして分析しています。[6]
これは、楽譜に四つの独立した楽章が書かれているという意味ではありません。一続きの終楽章の中で、急速な音楽、軽やかな音楽、遅い音楽がそれぞれ大きな役割を持つ、という聴き方です。
さらに全曲を見渡すと、第2楽章の追いかけ合う書法や、第3楽章で聴いた変奏の考え方が、終楽章でも働いています。前の楽章とのつながりは、冒頭で主題を回想する場面以外にもあります。[7]
合唱が始まってからも、速さが変わったところ、楽器だけになったところ、別の旋律が加わったところを目印にすると、長い音楽の中で現在地をつかめます。
1824年の初演|拍手が聞こえなかった作曲家

初演は1824年5月7日、ウィーンのケルントナートーア劇場で行われました。この演奏会では、第九のほかに《献堂式》序曲と《ミサ・ソレムニス》の三つの楽章も取り上げられています。[7]
ベートーヴェンも舞台に立ちましたが、演奏を実際にまとめる役割を担ったのは、ミヒャエル・ウムラウフらです。作曲者の聴覚の状態を考えると、本人だけで大編成を統率することはできませんでした。[4]
客席は新作を熱烈に迎えました。拍手に気づかなかったベートーヴェンを、独唱者カロリーネ・ウンガーが客席の方へ向かせた、という逸話も伝わっています。
この話は、ウンガーが四十年以上たってから音楽研究家ジョージ・グローヴに伝えた回想に基づいています。起きた時点など、場面の細部には異なる伝承もあります。[9]
初演後も楽譜には修正が加えられ、総譜とパート譜の初版は1826年にショット社から出版されました。ベートーヴェンはその後も弦楽四重奏曲などを書き続けましたが、第10交響曲は構想とスケッチにとどまり、第九が最後の完成された交響曲となりました。[1][4]
日本の第九と、ヨーロッパの歌
日本で初めて全曲が響いたのは、捕虜収容所
日本で最初の第九全曲演奏として知られるのは、1918年6月1日、徳島の板東俘虜収容所で、ドイツ人捕虜たちが行った演奏です。
指揮はヘルマン・ハンゼン。女性がいなかったため合唱は男声用に編曲され、揃わない楽器にも代替が必要でした。現在一般に演奏される原曲の編成とは異なる条件で、全曲演奏を実現しました。[10][11]
日本人による演奏にも、抜粋と全曲で別の節目があります。1924年1月26日、九州帝国大学フィルハーモニー会が第4楽章を演奏し、同年11月には東京音楽学校が全楽章を演奏しました。[15]
なぜ日本では年末に演奏するのか
第九は、もともと年越しのために書かれた作品ではありません。世界初演は5月で、歌詞にも年末を祝う内容はありません。
日本では、オーケストラの年末公演と、各地の合唱活動が結びつき、繰り返し演奏される習慣が育ちました。NHK交響楽団の演奏記録にも、前身の日本交響楽団が1947年12月13日、日比谷公会堂で第九を演奏した記録があります。[16]
年末の定着には、興行面の事情や、放送を通じた普及など複数の背景が挙げられています。合唱に参加する人と、その歌を聴く人が毎年集まることが、日本の第九の大きな特徴になりました。[10]
ヨーロッパのアンセムは、歌詞のない「歓喜の歌」
「歓喜の歌」の旋律は、1972年に欧州評議会のアンセムとして採用され、1985年には欧州共同体の首脳たちによっても採用されました。現在のEUにつながる象徴の一つです。
ここで用いられるのは、第九全曲ではなく、「歓喜の歌」の旋律による歌詞のない器楽の音楽です。異なる言語を持つ人々が、旋律を通して自由、平和、連帯という理念を共有する形になっています。[12]
次に聴くときは、最初の小さな音から
「歓喜の歌」をよく知っている方ほど、一度、全曲の冒頭から聴いてみてください。最初に響くのは、大合唱から遠く離れた、ごく弱い弦の音です。
三つの楽章と、終楽章の器楽だけの部分を経て、ようやく歌声が現れます。終楽章で低い男声が「おお、友よ」と呼びかけたとき、その直前まで言葉を持たずに進んできたオーケストラの響きも、思い出してみてください。
参考資料
1. Beethoven-Haus Bonn, “Symphony no. 9 (D minor) op. 125” — 成立・献呈・ロンドンとの関係。資料を開く
2. New Jersey Symphony, Laurie Shulman, “Beethoven’s Ninth Symphony with Xian Zhang” — 編成・演奏時間・行進曲など。資料を開く
3. Los Angeles Philharmonic, John Henken, “Symphony No. 9” — 全体構成と終楽章の変奏。資料を開く
4. G. Henle Verlag, Beate Angelika Kraus, Symphony No. 9, Preface — 歌詞の選択・初演資料・出版。資料を開く
5. Los Angeles Philharmonic, “Symphony No. 9, ‘Choral’” — 第1楽章と初演の受容。資料を開く
6. Oakland Symphony, Peter Laki, “Program Notes: Beethoven’s Ninth” — 第2楽章と終楽章の音楽的な流れ。資料を開く
7. Handel and Haydn Society, Teresa M. Neff, “Program Notes – Beethoven Symphony No. 9” — 楽章間の関係と初演プログラム。資料を開く
8. The Cleveland Orchestra, “Symphony No. 9 in D minor, Op. 125, ‘Choral’” — ドイツ語歌詞・終楽章後半。訳は本記事独自。資料を開く
9. Fort Worth Symphony Orchestra, “Beethoven, Ludwig van: Symphony No. 9 in D minor, Opus 125, ‘Choral’” — ウンガーの回想と初演の逸話。資料を開く
10. 藝大アートプラザ「年末に『第九』が演奏される理由は?日本初演やドイツ兵との絆などの歴史と歌詞の訳も紹介」 — 日本初演と年末の習慣。資料を開く
11. 国立国会図書館「第2章 ドイツ人俘虜がもたらした技術や文化」 — 板東での演奏。資料を開く
12. European Union, “European anthem” — アンセムの採用と歌詞のない形態。資料を開く
13. Los Angeles Philharmonic, Herbert Glass, “Choral Fantasy” — 1808年の作品と第九、1824年の手紙。資料を開く
14. Royal Philharmonic Society, “The Society and Beethoven” — 委嘱と1824年の総譜送付、ロンドン初演。資料を開く
15. 九州大学「『第九』日本人初演100年記念事業」 — 1924年の第4楽章演奏と東京音楽学校の全曲演奏。資料を開く
16. NHK交響楽団 演奏記録アーカイブ「1947/12/13」 — 戦後の12月公演の具体例。資料を開く
歴史資料の参照先
ベートーヴェンの肖像:シュティーラー、1820年。手にするのは《ミサ・ソレムニス》の楽譜(PD-Art/PD-old-100-expired)
シラーの肖像:ルドヴィケ・ジマノヴィツ、1793〜1794年(PD-Art/PD-old-100-expired)
第九の自筆手稿の一頁:ベートーヴェン、1822〜1824年の作曲期。ベルリン州立図書館所蔵(PD-old-100-expired)

