弦楽器だけで、これほど豊かに響く

ヴァイオリンからコントラバスまでが、厚い和音を響かせる。《弦楽セレナーデ》は、堂々とした合奏で始まります。
使われるのは弦楽器だけ。それでも、重厚な響きから軽やかなワルツへ、しみじみとした歌から活発な踊りへと、音楽の表情は豊かに変わります。
聴き進めると、終わり近くで、最初に聴いた旋律が帰ってきます。そこで、厳かに始まった音楽と、終楽章の弾むようなロシア民謡とのつながりが浮かび上がります。
1分でわかる《弦楽セレナーデ》
《弦楽セレナーデ》ハ長調 Op.48は、チャイコフスキーが1880年、40歳のときに書いた弦楽合奏曲です。全4楽章からなり、第1楽章では重厚な序奏と軽快な音楽、第2楽章では優雅なワルツ、第3楽章では長く息づくエレジー、第4楽章ではロシア民謡による活発な音楽を楽しめます。
作曲者は、第1楽章にモーツァルトへの敬愛を込めたと語り、作品全体にも強い愛着を寄せていました。弦の厚い響きと、なめらかな旋律、踊るリズムが聴きどころです。
まず聴くなら、第2楽章「ワルツ」
約4分で聴ける、親しみやすい楽章です。三拍子の伴奏に乗る旋律を、一音ずつ追うよりも、大きなまとまりで聴いてみてください。ゆったりと体が揺れるような流れを感じられます。
《弦楽セレナーデ》の基本情報
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 作曲者 | ピョートル・イリイチ・チャイコフスキー |
| 作品名 | 弦楽セレナーデ ハ長調 Op.48 |
| 原題 | Серенада для струнного оркестра |
| 作曲 | 1880年9〜10月 |
| 作曲地 | カメンカ〈現在のウクライナ、カーミアンカ〉 |
| 編成 | 第1・第2ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、コントラバス |
| 構成 | 全4楽章 |
| 演奏時間 | 約30分 |
| 最初の演奏 | 1880年12月3日、モスクワ音楽院での非公開演奏 |
| 公開初演 | 1881年10月30日、サンクトペテルブルク。エドゥアルト・ナープラヴニーク指揮 |
| 出版 | 1881年、ユルゲンソン社 |
| 献呈 | モスクワ音楽院の同僚でチェリストのカール・アルブレヒト |
「内からの衝動」で生まれた音楽

休もうとしても、作曲へ向かってしまう
1880年秋、チャイコフスキーは妹の一家が暮らすカメンカに滞在していました。しばらく自分の作品を書くことから離れ、休もうと考えていた時期です。
ところが、支援者ナジェジダ・フォン・メック夫人への手紙によると、何日か仕事をせずにいるうちに、理由のはっきりしない憂うつを覚え、よく眠れず、疲れや弱さを感じるようになりました。新しい交響曲の構想に取りかかると、気分がよくなり、元気と満足を取り戻したと伝えています。
この段階では、作品の形はまだ定まっていません。その後、手紙には「弦楽オーケストラのための組曲」という呼び方が現れ、やがて全4楽章のセレナーデにまとまります。
完成した作品を出版者ユルゲンソンへ送る際には、強い愛着と、早く世に出したいという思いを伝えました。
《1812年》と並行して書いた、気持ちの違う二曲

この秋には、大砲や鐘を伴うことで知られる序曲《1812年》も書かれています。
チャイコフスキーはメック夫人への手紙で、二つの作品に取り組む気持ちの違いを率直に述べました。祝典のための序曲には強い熱意を持てなかったのに対し、セレナーデは内からの衝動によって、心を込めて書いたと説明しています。
モーツァルトの《魔笛》を研究していたころ

作曲の背景には、モーツァルトへの敬愛もあります。
チャイコフスキーはこの時期、自分の音楽からいったん離れ、他の作曲家の作品を学ぼうとしていました。手紙では、モーツァルトのオペラ《魔笛》を熱心に研究していることにも触れています。
《弦楽セレナーデ》の第1楽章については、後に、モーツァルトへの敬意を払い、その様式を意識して書いたと説明しました。特定の旋律の引用を探すより、明快な主題や、均整の取れた構成に耳を向けると、この言葉を理解しやすくなります。
「セレナーデ」とは、どんな音楽?
セレナーデは「小夜曲」と訳され、夕べや夜の音楽と結びついてきた名称です。古典派の時代には、祝宴や社交の場などで楽しむ、複数の楽章を持つ器楽曲にも使われました。モーツァルトの《アイネ・クライネ・ナハトムジーク》も、その一例です。
全4楽章の流れと聴きどころ

全曲は、堂々とした第1楽章、優雅なワルツ、ゆったり歌うエレジー、活発なフィナーレという順序で進みます。以下の日本語の説明は、音楽の表情を追うための鑑賞案内です。
第1楽章|ソナチネ形式の小品
Pezzo in forma di sonatina:Andante non troppo — Allegro moderato
冒頭では、弦楽器が厚い和音を作りながら、ゆっくりとした旋律を奏でます。声をそろえた合唱を思わせる響きです。管楽器を加えずに、これほど大きな音の広がりを生み出せることに、まず耳を引かれます。
響きが静まると、ほどよく速い主部に入ります。なめらかに動く旋律に続いて、短い音を繰り返す、きびきびとした主題も現れます。最初の重厚な歩みから、音楽が身軽になったように感じられるでしょう。
題名の「ソナチネ形式」は、この楽章では、大きな展開部を持たないソナタ形式を指しています。「主題」は曲の中心になる旋律、「展開部」はそれを分解したり変形したりして、音楽を発展させる部分です。ここでは、そのような長い展開を挟まず、二つの主題が再び現れます。
終わりには、序奏の音楽が戻ります。重厚な響きが軽やかな主部を挟み込むことで、この楽章にくっきりした枠組みを与えています。
第2楽章|ワルツ
Valse:Moderato. Tempo di Valse
第1楽章の堂々とした終わりから、柔らかな三拍子へ。ヴァイオリンが、伴奏の上になめらかな旋律を描きます。
伴奏が一定の歩みを保つ一方で、旋律は小節の区切りを越えて伸びていきます。三つの拍を一つずつ数えるだけではわかりにくい、ゆったりとした揺れは、この長い旋律の流れから生まれます。
途中では細かな音の動きが加わり、主旋律を受け持つパートも変化します。高いヴァイオリンの音だけを追うのをやめると、その下にも歌が受け渡されていることに気づけます。親しみやすい旋律をもう一度味わったあと、音楽は静かに閉じられます。
チャイコフスキーのバレエ音楽に通じる、動きの自然さを楽しめる楽章です。
第3楽章|エレジー
Elegia:Larghetto elegiaco
「エレジー」は、哀歌や悲歌を意味します。冒頭では、ゆっくり上っていく旋律に弦の響きが重なり、一音ずつ重みを持って進んでいきます。
やがて、弦を指ではじくピッツィカートの伴奏に乗り、柔らかな歌が現れます。旋律は弓で長くつながれ、伴奏の音は短く消える。その鳴り方の違いによって、歌のなめらかさが際立ちます。
響きはしだいに厚くなり、大きな頂点へ向かいます。沈み込むような静けさから、感情があふれるような強い響きまで、音楽の振幅が広い楽章です。
主調はニ長調です。長調でありながら、和音の移り変わりや旋律のためらうような動きによって、切なさがにじみます。明るいか暗いかという二分だけでは捉えにくい、チャイコフスキーの歌の表情を味わえます。
終わりには音域が高くなり、薄く繊細な響きが残ります。大きく盛り上がった場面との違いを、余韻まで聴いてみてください。
第4楽章|フィナーレ「ロシアの主題」
Finale(Tema russo):Andante — Allegro con spirito
終楽章の序奏は、控えめな響きから始まります。ここに使われているのは、「緑の牧場で」と訳せるロシア民謡です。
続く速い主部では、別の民謡「緑のリンゴの木の下で」が中心になります。二つとも、チャイコフスキーが以前にピアノ連弾用へ編曲していた歌でした。
速い部分に入ると、短い音型が弾み、旋律がパートからパートへ受け渡されます。よく歌う主題も交えながら、音楽はにぎやかに進んでいきます。
終わり近くで、その勢いがいったん収まり、第1楽章の冒頭にあった重厚な序奏が帰ってきます。
ここで面白いのは、序奏の旋律と、いままで聴いてきた速い民謡主題の関係です。音の動きには近い輪郭があり、速さやリズムの違いによって、厳かな音楽と軽快な踊りに聴き分けられていました。再登場した序奏から再び速度が上がると、そのつながりを耳で感じ取れます。
全曲の最初を思い出したあと、最後は活発な動きを取り戻し、ハ長調の明るい響きで締めくくります。
もう一度聴くなら、この三か所

ワルツで、旋律を受け渡すところ
第2ヴァイオリンやチェロが歌を受け持つ場面に注目しましょう。その上で第1ヴァイオリンが細かな音を添えると、旋律と飾りの位置関係が聴き取りやすくなります。
エレジーで、伴奏がピッツィカートになるところ
音のつながる旋律と、短く消える伴奏を聴き分けてみましょう。歌が前に浮き上がるように聴こえる場面です。
フィナーレで、遅い音楽が再び速くなるところ
第1楽章の序奏が戻ったところから、曲の最後までを続けて聴いてみましょう。旋律が戻ったことに気づいたら、次は、その音楽がどう踊りの動きへ移るのかを追うと楽しめます。
なぜ弦楽器だけで、これほど響きが変わるのか

五つのパートを、大勢の奏者が支える
基本の編成は、第1ヴァイオリン、第2ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、コントラバスの五つです。一つのパートを複数の奏者が受け持つので、五人で演奏する五重奏とは響きの規模が異なります。
チャイコフスキーは楽譜に、弦楽合奏の人数が多いほど、自分の希望にかなうという趣旨の言葉を記しました。大勢の弦が一緒に鳴る、豊かな響きを求めていたことがわかります。
冒頭には、一本の楽器で複数の弦を同時に鳴らす重音も使われています。
低音が変わると、旋律の重さも変わる
高いヴァイオリンの旋律に加えて、チェロやコントラバスにも耳を向けてみてください。
低い音が長く響けば、その上の旋律は安定した土台に支えられます。低音が短くリズムを刻むと、音楽は前へ進む力を得ます。同じ弦楽器の組み合わせでも、下からどう支えるかによって、歌の重さや身軽さが変わるのです。
旋律だけを追っていたときとは違う、合奏を内側から支える動きが聴こえてきます。
初演の成功と、師からの高い評価
最初の演奏は、1880年12月3日、モスクワ音楽院で行われました。久しぶりに訪れたチャイコフスキーのために、教授や学生たちが用意した、非公開の演奏でした。
翌1881年10月30日には、ナープラヴニークの指揮によって、サンクトペテルブルクで公開初演されます。このとき、第2楽章のワルツはアンコールを求められました。
この作品を高く評価した人物に、かつての師アントン・ルビンシテインもいます。1882年、彼が指揮した演奏について、出版者ユルゲンソンがチャイコフスキーに手紙を送りました。そこには、ルビンシテインがリハーサルで、チャイコフスキーの最良の作品だと思う、という趣旨の言葉を述べたことが記されています。

作曲者自身も、その後の演奏旅行でこの曲を繰り返し取り上げました。全曲だけでなく、ワルツやエレジーを抜き出して演奏した例もあり、それぞれの楽章が独立して親しまれていきます。
バレエ《セレナーデ》では、最後の印象が変わる
20世紀には、ジョージ・バランシンがこの音楽を用いてバレエ《セレナーデ》を創作しました。1934年に生まれ、後に改訂を重ねたこの作品は、ニューヨーク・シティ・バレエの代表的な演目の一つとなっています。
現在のバレエ版では、原曲の第3・第4楽章に当たる音楽の順序が入れ替わり、「ロシアの踊り」のあとに「エレジー」が置かれます。
演奏会で聴く原曲は、活発なフィナーレで終わります。バレエ版では、最後にエレジーの余韻が残ります。同じ音楽でも、何を最後に置くかによって、作品全体から受ける印象が変わる例です。

楽譜を見てみたい方へ
参考資料
- Tchaikovsky Research:Serenade for String Orchestra
成立、書簡抜粋、編成、初演・出版、献呈、民謡の出典。 - ロシア国立芸術学研究所「チャイコフスキー百科事典」
作曲前の休息の意向、《魔笛》の研究、書簡、ルビンシテインの評価と演奏歴。 - The Orchestra Now:Tchaikovsky’s Serenade for Strings
セレナーデの歴史、モーツァルトとの関係、公開初演でのワルツのアンコール。 - Fort Collins Symphony:作品解説
各楽章の形式、旋律と伴奏、ピッツィカートなどの特徴。 - Los Angeles Philharmonic:作品解説
作曲者の言葉、各楽章の特徴。 - マカオ国際音楽祭・公演プログラム
重音による響き、旋律の受け渡し、終楽章の主題関係。 - Peoria Symphony・公演プログラム
楽章構成、終楽章での序奏の回帰と速い終結。 - New York City Ballet:Serenade
バレエ版の成立と、原曲からの楽章順の変更。
歴史資料の出典
歴史資料:チャイコフスキーの肖像(Émile Reutlingerに帰属/1888年撮影、1904年刊行/Public domain(PD-old-70-expired))。
歴史資料:ナジェジダ・フォン・メックの肖像(作者不明/制作年不明/Public domain(Commons上の表示))。
歴史資料:モーツァルト一家の肖像(Johann Nepomuk della Croce/1780年頃/Public domain(PD-old))。
歴史資料:アントン・ルビンシテインの肖像(Fritz Luckhardt/Rijksmuseum/1871年12月/CC0 1.0)。


