
四人の王子に囲まれた姫が、片脚のつま先で立ち、一人の手を離して次の相手へ向き直る。オーケストラは、その動きを包むように、長い旋律を歌い続けます。
《眠れる森の美女》の「ばらのアダージョ」です。音楽だけで聴けばゆったりした歌が、舞台では、踊り手の強さと気品を見つめる時間に変わります。
誕生日のワルツ、森を進む「パノラマ」、鳥のさえずりのような木管楽器。このバレエでは、踊りや場面ごとに、音楽の表情が鮮やかに変わります。呪いによって百年の眠りにつくオーロラ姫の物語をたどりながら、その変化を楽しんでみましょう。
1分でわかる《眠れる森の美女》
《眠れる森の美女》Op.66は、チャイコフスキーが《白鳥の湖》に続いて作曲した、二作目のバレエ音楽です。ペローの童話をもとに、姫の誕生、呪いによる眠り、百年後の目覚めと結婚を、プロローグと全3幕で描きます。
物語を動かすのは、姫を呪うカラボスと、姫を守り王子を導くリラの精。宮廷の華やかさから幻想的な森まで、多彩な管弦楽が舞台を彩ります。
聴き始めるなら第1幕のワルツがおすすめです。さらに「ばらのアダージョ」「パノラマ」「青い鳥」へ進むと、ゆったり歌う音楽と、軽やかに弾む音楽の両方を味わえます。[1]
まず聴くなら、第1幕のワルツ
オーロラ姫の誕生日を祝う場面で流れる曲です。「ガーランド・ワルツ」や「花のワルツ」とも呼ばれますが、《くるみ割り人形》の「花のワルツ」とは別の音楽です。
「ガーランド」は花綱のこと。舞台では、花で飾られた綱を持つ踊り手たちが、さまざまな模様を描きます。三拍子に乗って旋律が大きく広がり、人々が集う庭園の明るさを伝えます。
ディズニー映画の「いつか夢で(Once Upon a Dream)」に使われたのも、この旋律です。1959年の映画では、ジョージ・ブランズがチャイコフスキーのバレエ音楽を編曲しました。[2]
《眠れる森の美女》の基本情報
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 作曲者 | ピョートル・イリイチ・チャイコフスキー |
| 作品名 | バレエ音楽《眠れる森の美女》Op.66 |
| 原題 | Спящая красавица/La Belle au bois dormant |
| 原作 | シャルル・ペローの童話 |
| 構想・台本 | イワン・フセヴォロシスキーを中心に、マリウス・プティパと舞台化 |
| 初演振付 | マリウス・プティパ |
| 献呈 | イワン・フセヴォロシスキー |
| 作曲 | 1888~1889年 |
| 初演 | 1890年1月15日〈ロシア旧暦1月3日〉、サンクトペテルブルクのマリインスキー劇場 |
| 初演指揮 | リッカルド・ドリーゴ |
| 構成 | プロローグと全3幕 |
| 編成 | 木管・金管・打楽器、ハープ、ピアノ、弦楽器などの大編成管弦楽 |
| 演奏時間 | 全曲の音楽で約2時間40分が目安。 |
この記事では演奏会用組曲ではなく、バレエ全曲の流れを扱います。王子の名は「デジレ」としますが、英国系の舞台などでは「フロリムント」と呼ばれます。オーロラの年齢も版によって異なり、以下は多くの現行上演で見られる16歳の設定です。[1][3]

童話から生まれた、ロシア帝室劇場の大舞台
三人が組み立てた宮廷とおとぎ話の世界
作品を提案したのは、ロシア帝室劇場の総裁イワン・フセヴォロシスキーでした。彼はフランスの宮廷文化を愛し、ペローの童話を、豪華な衣装や舞踊を備えた舞台にしようと考えます。
終幕には、ほかのおとぎ話の登場人物も招き、盛大な結婚の祝宴を描く構想でした。フセヴォロシスキーは衣装のデザインにも関わり、振付をプティパ、音楽をチャイコフスキーが担いました。[4]

原作のペロー版には、姫の目覚めと結婚のあとにも、王子の母が姫と子どもたちを脅かす物語が続きます。バレエではその後日談を採用せず、結婚式を大きな祝祭として描きました。童話のどこを舞台の結末に選ぶかという判断が、作品全体の明るい着地点を決めています。[2]

踊りの注文が、音楽の形を作る
プティパは、踊りの性格やテンポ、小節数などを細かく指定しました。姫が指を傷つける場面では、踊りから痛みと混乱へ移る過程まで、音楽への具体的な注文を伝えています。
チャイコフスキーは、その動きに応えながら、長く歌う旋律と豊かな管弦楽を組み合わせました。一定の拍子は足取りを支え、音の強さや響きの変化は、同じ動きにも喜びや不安を与えます。[5]

作曲は1888年から1889年に進められ、管弦楽の仕上げは1889年の夏まで続きました。完成後の1890年10月27日〈旧暦15日〉、出版社のユルゲンソンに送った手紙で、作曲家は作品への愛着をこう伝えています。
「《眠れる森の美女》は、最初から最後まで気に入っています。」
――チャイコフスキーの手紙より、拙訳
演奏会向けにどの曲を抜き出すかという相談の中で書かれた言葉です。抜粋を選ぶ相談にも、作品全体への愛着が表れています。[6]

物語を動かす四人
オーロラ姫は、フロレスタン王と王妃の娘。誕生を祝福され、成長後に呪いを受けます。
カラボスは、姫の洗礼式に招かれなかった妖精です。その怒りから姫を呪います。
リラの精は、姫を守る妖精。呪いを和らげ、百年後には王子を眠る城へ導きます。「リラ」はライラックのことです。
デジレ王子は、百年後の世界に生きる王子。オーロラの幻影に心を奪われ、姫を探しに向かいます。[3]

プロローグ|祝福の踊りと、カラボスの呪い
王宮では、生まれたばかりのオーロラ姫の洗礼を祝っています。妖精たちが訪れ、美しさや優しさなどの資質を贈ります。
一人ずつ披露される踊りでは、短い音楽の中に性格の違いが表れます。流れるように優雅な曲、細かな音が軽く弾む曲、勢いのある曲。テンポや音の刻み方が変わると、腕や足の動きも違って見えます。
こうした独舞は、バレエでは「ヴァリエーション」と呼ばれます。音楽用語の「変奏曲」とは、使われ方が異なる言葉です。[5]
そこへ、招かれなかったカラボスが現れます。彼女は激怒し、オーロラが成長すると、糸紡ぎの針で指を刺して死ぬと告げました。ここでいう針は、糸紡ぎに使う、先のとがった棒状の道具です。
リラの精には、この呪いを完全に取り消す力はありません。そこで、姫が死ぬ代わりに深い眠りにつき、百年後に王子の口づけで目覚めるように、呪いを和らげます。[3]
祝福の贈り物が並んでいた舞台が、一人の登場で恐怖へ変わる場面です。切迫した音楽が現れたあと、リラの精のゆったりした響きが戻ると、混乱した宮廷にも落ち着きが生まれます。[7]

第1幕|誕生日の喜びが、眠りへ変わるまで
庭園のワルツから、オーロラの登場へ
オーロラは16歳になりました。国王は呪いを恐れ、王国で糸紡ぎの針などを禁じてきましたが、誕生日は無事に迎えられたように見えます。庭園には人々が集まり、四人の王子も求婚に訪れます。
ここで踊られるのが、先に紹介したワルツです。まず群舞が祝宴の広がりを見せ、続いて登場するオーロラへ、舞台の視線が集まります。[3]
「ばらのアダージョ」――長い旋律が支える、つま先の均衡
オーロラは、四人の王子からそれぞればらを受け取り、相手を替えながら踊ります。「ばらのアダージョ」と呼ばれる場面です。
ハープの華やかな独奏を経て、ゆったりした旋律が広がります。細かく音を刻んで動きを急がせるのではなく、長い音楽の流れの中で、姫が一つずつ姿勢を見せられるようになっています。[5]
とりわけ目を引くのは、片脚のつま先で立ち、王子の手を離して姿勢を保つ瞬間です。静止して見えても、身体は力を使い続けています。オーストラリア・バレエ団の踊り手たちも、この場面を支える足や脚の強さ、集中力について語っています。
見守りたいのは、その難しさを感じさせながらも保たれる、オーロラの晴れやかさです。顔を上げ、相手へ向き直る仕草まで見ると、求婚者を迎える姫としての振る舞いが伝わります。[8]
指を傷つけた姫と、動きを失う宮廷
祝宴のさなか、老婆に姿を変えたカラボスが、姫へ糸紡ぎの針を渡します。見慣れない道具を手に踊るオーロラは、やがて指を刺し、倒れてしまいます。
音楽の勢いが変わり、祝いの踊りは混乱へ崩れます。リラの精が現れ、姫が死んだのではなく眠っていると知らせると、姫は城内へ運ばれ、宮廷にも眠りがかけられました。
人々の動きが止まり、草木が城を覆います。少し前まで賑わっていた場所が、百年間閉ざされる場所へ変わる幕切れです。[3]
第2幕|幻影に導かれ、眠る城へ
狩りの仲間から離れた王子
百年後、デジレ王子が狩りの一行と森を訪れます。仲間たちが踊りや遊びを楽しむ中、王子はその賑わいに心を向けられず、やがて一人で残ります。
そこに現れたリラの精が見せるのは、オーロラの幻影です。王子はその姿に心を奪われますが、姫の幻影は消えてしまいます。彼はリラの精に、姫のいる場所へ連れていってほしいと願います。[3]
この場面のオーロラは、現れては遠ざかる幻として踊ります。王子の動きと姫の動きが近づき、また離れる。その距離の変化を追うと、幻影を求める場面がわかりやすくなります。
「パノラマ」――伴奏の揺れに乗って進む旅
リラの精は王子を舟に乗せ、眠る城へ導きます。この旅の音楽が「パノラマ」です。
ゆるやかに広がる弦楽器の旋律の下で、木管楽器の伴奏が穏やかに脈打ちます。旋律が長く伸びる間も、下の動きが前進する感覚を保っています。舞台の景色が次々に移り変わる場面に、よく似合う音楽です。[9]
ここでは、すぐに大きな盛り上がりを探さず、旋律と伴奏を一緒に聴いてみてください。落ち着いた速さの中にも、旅が続いていることが感じられます。
「眠り」の音楽を経て、目覚めへ
全曲では、城へ向かう音楽に続いて、第2幕後半に「眠り」と題された交響的な間奏曲が置かれています。活発な踊りが続く場面から離れ、眠った宮廷を前にする時間です。
チャイコフスキーは演奏会用の抜粋を検討した際にも、この「眠り」の場面を取り上げるよう提案していました。「パノラマ」から先まで聴くと、旅の流れが、眠る城の場面へどう移るかを味わえます。[1][10]
王子はオーロラのもとへたどり着き、口づけで姫を目覚めさせます。宮廷も眠りから解かれました。王子とカラボスの戦いを加える上演もありますが、初演の舞台には、その対決はありませんでした。[4]
第3幕|結婚式に集う、おとぎ話の客人たち
宝石の輝き、猫の仕草、鳥のさえずり
目覚めと救出の物語を経て、最後の一幕はオーロラとデジレの結婚式です。行進曲やポロネーズが祝宴を整え、宝石の精や、おとぎ話の登場人物が踊りを披露します。
こうした余興の踊りを「ディヴェルティスマン」と呼びます。
宝石の踊りでは、細かな音の動きや明るい音色がきらめきを生みます。長靴をはいた猫と白い猫では、すました姿と気まぐれな仕草が笑いを誘い、赤ずきんと狼などの客人も祝宴を彩ります。登場する組み合わせは上演によって異なります。[7]
「青い鳥」――木管楽器の掛け合いと、軽やかな跳躍
青い鳥とフロリナ王女の踊りでは、フルートとクラリネットが、鳥の声のような音を交わします。一方が示した動きに、もう一方が応える。音楽のやり取りは、青い鳥の踊りをフロリナがまねる動きとも重なります。
男性ダンサーの続けざまの跳躍も、大きな見どころです。飛び上がり、着地して、また空中へ。その間も音楽は軽さを失わず、鳥の動きを思わせる細かな音が続きます。
この二人は、ドーノワ夫人の童話に由来する登場人物です。結婚式には、ペローの主人公たちに加え、別の童話からも客人が招かれています。[11]
オーロラと王子のグラン・パ・ド・ドゥ
祝宴の中心となるのが、主役二人の大きな踊りです。「パ・ド・ドゥ」は二人の踊りを意味します。
ここでは、ゆったりした二人の踊りに続いて、それぞれの独舞、華やかな終結部が置かれます。二人の調和から一人ずつの技と個性へと、見せ場が移ります。
第1幕で求婚者たちを迎えていたオーロラが、今はデジレと並んで祝宴の中心に立っています。この二つの場面を見比べると、姫と相手との関係が変わったことを、踊りからも感じ取れます。[1]
終幕には大勢が加わるマズルカがあり、さらに荘厳な終結の場面「アポテオーズ」へ進みます。そこでは、フランスの古い旋律《アンリ4世万歳》が用いられます。宮廷文化を思わせる響きで、作品全体を締めくくる音楽です。[4]
まず聴きたい三つの場面

曲名で音源や映像を探すなら、次の三場面が入口になります。
| 場面 | 全曲の中の位置 | 聴く・見る目印 |
|---|---|---|
| ばらのアダージョ | 第1幕、第8曲のアダージョ | ハープの独奏と、姫が求婚者と踊る場面 |
| パノラマ | 第2幕、第17曲 | 眠る城へ向かう舟の旅 |
| 青い鳥 | 第3幕、結婚式の余興 | 木管楽器の応答と男性の跳躍 |
もう少し深く楽しむ、二つの視点

二人の妖精の音楽が、長い物語をつなぐ
この作品は、小さな踊りの曲を次々につなぐだけでなく、人物に結びついた音楽を繰り返すことで、物語のつながりを作っています。
入口になるのが、カラボスとリラの精です。序奏では、カラボスに結びつく切迫した音楽に続いて、リラの精のゆったりした音楽が示されます。プロローグや第1幕の危機でその響きを聞き直すと、舞台の出来事と、すでに耳にした音楽が結びつきます。[7]
まずは、リラの精が現れたときに、音楽がどのように落ち着きを取り戻すかを聴いてみてください。短い独舞が多い作品の中でも、長い筋を追う手がかりになります。
三つのバレエを、異なる入口から楽しむ
チャイコフスキーの三大バレエには、それぞれ異なる楽しみ方があります。
《白鳥の湖》では、恋人たちの誓いと、それを脅かす力の緊張。《くるみ割り人形》では、クリスマスの部屋から夢の世界へ進む変化。《眠れる森の美女》では、宮廷の格式、妖精や童話の登場人物の個性、踊りの形の多彩さが大きな魅力です。
とくに終幕は、二人で踊る場面、独舞、集団の踊りを見比べるよい機会になります。人数や音楽の速さが変わると、舞台で目を引く場所も移ります。バレエを初めて見る方にも、踊りの違いを一つずつ見つけやすい作品です。
初演から、戦後の劇場を開く作品へ
1890年の初演でオーロラを踊ったのは、カルロッタ・ブリアンツァでした。デジレはパーヴェル・ゲルト、リラの精は振付家の娘マリー・プティパ。カラボスは男性舞踊家エンリコ・チェケッティが演じています。[1]

批評家の評価は一様ではなく、舞台の豪華さや、童話の題材に異論を唱える声もありました。それでも作品は繰り返し上演され、ロシア国外にも広がります。[4]
その後の歴史で忘れられないのが、1946年2月20日のロンドン公演です。第二次世界大戦後、コヴェント・ガーデンのロイヤル・オペラ・ハウスが劇場として再開した際、この作品が選ばれました。
オーロラ役はマーゴ・フォンテイン。現在の英国ロイヤル・バレエにつながるサドラーズ・ウェルズ・バレエ団が、新たな拠点での出発を飾った公演です。眠りから再び動き出す宮廷の物語は、戦争を経て人々を迎える劇場にも重なりました。[12]

全曲と組曲は、どう違う?
録音や演奏会では、全5曲、20分ほどの組曲Op.66aも演奏されます。
一般的な構成は、「序奏とリラの精」「アダージョ〈ばらのアダージョ〉」「長靴をはいた猫と白い猫」「パノラマ」「ワルツ」です。第1幕、第2幕、第3幕から抜き出した音楽を、バレエの筋とは異なる順番で並べています。
この組曲は、チャイコフスキー自身が生前に完成させて出版したものではありません。本人も抜粋を検討しましたが、現在広く聴かれる5曲の組曲は、死後の1899年に刊行されました。[10]
次に聴くときは、音楽と身体の呼吸へ
「ばらのアダージョ」で姫が手を離す瞬間、長い旋律はどのように続いているでしょうか。「青い鳥」の跳躍が重なるとき、木管楽器は何をしているでしょうか。
一つの場面で、踊りと音の両方を追ってみる。そこから聴き始めると、よく知る童話の中に、まだ気づいていなかった動きが見えてくるでしょう。

参考資料
Tchaikovsky Research:The Sleeping Beauty — 成立、編成、曲目、初演、演奏時間。
Pittsburgh Ballet Theatre:Educator Guide 2023、D23:11 Royal Facts — 原作との違い、ワルツと映画の関係。
The Royal Ballet:2014年公演プログラム、The Australian Ballet:The Sleeping Beauty—The Story — 各幕のあらすじと登場人物。
新国立劇場:作品概要・上演史、The Washington Ballet:About The Sleeping Beauty — 宮廷の構想、初演と後世の演出、終曲の引用。
New Jersey Symphony:プログラムノート、Pittsburgh Ballet Theatre前掲資料 — 振付との協働、ヴァリエーション、ハープ。
Tchaikovsky Research:Letter 4234 — 1890年10月15/27日、ユルゲンソン宛。ロシア語原文と掲載英訳を参照した独自の日本語訳。
St. Louis Symphony Orchestra:Program Notes — 妖精の主題、ワルツ、終幕の音楽。
The Australian Ballet:The Rose Adage — 踊り手が語る技術と表現。
Portland Symphony Orchestra:Classic Romance Program Notes、New Jersey Symphony前掲資料 — 「パノラマ」の場面と音楽。
Tchaikovsky Research:The Sleeping Beauty (suite) — 「眠り」の場面に対する作曲家の評価、組曲の成立。
The Australian Ballet:Beauty’s Bluebirds — 原作、木管楽器の掛け合い、振付。
Royal Ballet and Opera:History、The Royal Ballet:History — 1946年の再開公演。


