
小太鼓が一定のリズムを刻み、その上でフルートが歌い始めます。クラリネットが同じ旋律を繰り返すと、次はファゴットがもう一つの旋律を奏でます。楽器が交代しながら、音楽はこの二つの旋律を何度もたどります。
終盤には、その静かな出発点から想像できないほどの大音響に包まれます。ラヴェルの《ボレロ》は、少ない素材から大きな高揚をつくる、徹底した設計を持つ作品です。
聴く手がかりは、「次はどんな旋律が出てくるか」よりも、「今度は誰が、どんな響きで同じ旋律を奏でるか」。そこへ耳を向けると、約15分の中に仕込まれた変化が見えてきます。
1分でわかる《ボレロ》
《ボレロ》は、ラヴェルが1928年に舞踊家イダ・ルビンシテインの依頼で作曲したバレエ音楽です。現在は管弦楽の演奏会でも親しまれています。小太鼓のリズムを土台に二つの旋律を繰り返し、担当する楽器と音の重なりを変えながら、全体を通して音量を増していきます。基本となる速さは一定で、終盤まで音楽の中心となる調もほとんど動きません。そのため、結末近くで起こる転調が鮮烈に響きます。まずは冒頭のフルートと、その次のクラリネットを聴き比べてみてください。旋律を覚えたら、次にそれを奏でる楽器へ耳を移していくと、長い反復の中にも細かな変化を見つけられます。
音楽と映像で、作品の魅力をさらに深く。YouTube「クラシック音楽の事件簿」でもご紹介しています。
《ボレロ》の基本情報
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 作曲者 | モーリス・ラヴェル(1875〜1937) |
| 原題・作品番号 | Boléro, M.81 |
| 作曲 | 1928年 |
| 初演 | 1928年11月22日、パリ・オペラ座 |
| 初演指揮 | ワルテル・ストララム |
| 初演振付 | ブロニスラヴァ・ニジンスカ |
| 依頼者・献呈先 | イダ・ルビンシテイン |
| 初版 | 1929年、デュラン社 |
| ジャンル・構成 | 単一楽章のバレエ音楽。演奏会では管弦楽曲として演奏 |
| 演奏時間 | 約15分 |
| 主な編成 | 木管・金管・弦楽器に、小太鼓などの打楽器、ハープ、チェレスタ、サクソフォーンなどを加えた大管弦楽 |
この記事で扱うのは、バレエのために書かれ、現在は演奏会でも全曲が演奏される管弦楽版です。

編曲の依頼から生まれた、異例の新作
出発点はアルベニスの《イベリア》

《ボレロ》のきっかけをつくったのは、舞踊家であり、自ら公演を企画したイダ・ルビンシテインでした。彼女が求めたのは、スペインの性格を持つバレエのための音楽です。
ラヴェルが当初考えたのは、スペインの作曲家イサーク・アルベニスのピアノ曲集《イベリア》から数曲を選び、管弦楽に編曲することでした。ところが、すでにエンリケ・フェルナンデス・アルボスによる管弦楽化があり、権利の問題が持ち上がります。ラヴェルは編曲を断念し、新作に取り組むことにしました。
この構想の出発点を伝えるのが、作曲家ギュスターヴ・サマズイユの回想です。1928年夏、サン=ジャン=ド=リュズでラヴェルは旋律を鍵盤で弾き、展開させずに繰り返しながら、オーケストラを徐々に大きくしていく考えを話したといいます。
当初の計画では《ファンダンゴ》という題名が考えられていましたが、完成した作品は《ボレロ》となりました。ラヴェルが53歳のときの作品で、同年10月に完成、11月に初演されています。[1][2][10]
「ボレロ」はスペインの舞曲の名前
ボレロは、もともとスペインの3拍子の舞曲です。ラヴェルの作品にも、その舞曲を思わせる一定のリズムが通っています。
小太鼓には、一拍を三つに分ける細かな音も組み込まれています。その刻みと、小節全体を三つに数える流れを分けて聴くと、旋律の下にある舞曲の歩調を感じやすくなります。[3]
音楽をたどる|独奏から、オーケストラ全体へ

《ボレロ》は一つの楽章でできています。以下の四つの区分は、この記事の鑑賞案内です。
冒頭|小太鼓の上に浮かぶフルート
曲の最初に聞こえるのは、小太鼓と、弦楽器が弦を指ではじく静かな伴奏です。強烈な終結を知っている人ほど、出発点の小ささに驚くかもしれません。

小太鼓は2小節のリズムの型を繰り返します。こうした反復を「オスティナート」と呼びます。全曲を支えるこの型は、長く伸びる旋律の下でも細かな動きを保ちます。
その上に現れるフルートの旋律は、なだらかに動き、長い息で歌われます。続くクラリネットも同じ旋律を演奏し、フルートの息を含む響きから、クラリネットの丸みのある響きへと移ります。伴奏が控えめなため、それぞれの個性がよく聞こえます。[4]
二つ目の旋律|ファゴットが表情を変える
クラリネットの次には、ファゴットが別の旋律を奏でます。最初の旋律に比べて音の動きが入り組み、半音の響きが強く感じられる、陰りを帯びた旋律です。
ファゴットと聞くと低い音を想像しがちですが、ここでは高い音域が使われています。そのため、同じ楽器でも、低音の伴奏で聴くときとはずいぶん違う表情に出会えます。次にこの旋律を受け持つのは、小ぶりで高い音を出す変ホ調クラリネットです。
最初の旋律をA、次の旋律をBとすると、「A・A・B・B」を4回繰り返し、最後は「A・B」と進みます。二つの旋律の提示は合わせて18回です。小太鼓の2小節の型は、その下でさらに細かく繰り返されています。[3][5]
中盤|楽器を重ねて、新しい音色をつくる
旋律はオーボエ・ダモーレへ、さらにフルートと弱音器付きトランペットの組合せへと渡り、サクソフォーンも加わります。オーボエ・ダモーレは通常のオーボエより少し低い音域を持つ楽器です。テナー・サクソフォーンが旋律を受け持つ場面では、厚みのある声が現れます。
やがて、ホルンにピッコロとチェレスタが重なる場面に入ります。チェレスタは、鍵盤を押すと金属の板を打って音を出す楽器です。ホルンの旋律に高い響きが重なり、それまでの独奏とは違う、人工的とも感じられる音色が生まれます。
続くトロンボーンの独奏も印象的です。高い音域で歌われる旋律は、木管楽器とは違う張りと存在感を持っています。[4][5]
後半から結末|弦楽器が前に出て、調が動く
それまで伴奏を担っていた弦楽器も、後半には旋律を大きく歌い始めます。独奏が次々に交代する段階を経て、複数の楽器群がまとまって旋律を支えるようになり、音の厚みが増していきます。[5]
そして結末近く、長く保たれてきたハ長調の土台が、突然ホ長調へ移ります。転調とは、音楽の中心となる調が変わることです。ここでは、それまで動かなかった足場がずれたように感じられます。
ホ長調の部分は短く、音楽はハ長調へ戻ります。トロンボーンの滑るような音や打楽器の強打を伴い、曲は急激に終結します。積み上げてきた流れを、一気に断ち切るような結末です。[1]
まず聴きたい三つの場面

1.冒頭――旋律より先に、伴奏を聴く
最初の数小節で小太鼓の型を覚え、フルートが入ってからも追ってみてください。旋律に耳を奪われた後、再び伴奏へ戻ると、同じ型が続いていることを確かめられます。
2.中盤――ホルン、ピッコロ、チェレスタの重なり
ここは、オーボエ・ダモーレやサクソフォーンが登場した後、トロンボーンの独奏より前の場面です。ひとまとまりの響きとして聴いてみましょう。高い音が旋律に光沢を加えるように聞こえるか、別の線として浮かぶか。録音によるバランスの違いにも気づきやすい箇所です。
3.結末近く――音量が増す中で、響きの土台が変わる瞬間
大音響だけに注意を奪われず、転調する箇所を探してみてください。終盤だけを抜き出すより、できれば冒頭から続けて聴くのがおすすめです。それまでの反復が長いほど、この短い変化が際立ちます。
深く楽しむ視点|反復は、聴き手に何を起こすのか
同じ旋律を聴くからこそ、音色の違いが分かる
新しい旋律が次々に現れる曲では、私たちの注意は音の並びへ向かいやすくなります。《ボレロ》では、旋律を覚えた後も同じものが戻ってくるため、それ以外の違いに気づく余地が生まれます。
たとえば、フルートが一人で奏でる旋律と、後半にヴァイオリンを含む楽器群が奏でる旋律を比べてみましょう。音の並びが同じでも、一人の息でまとまる歌と、多数の奏者が重ねる響きでは、音の広がりが変わります。
さらに、低音やリズムを担う楽器も加わるため、旋律の周囲の空間まで満たされていきます。主旋律だけを聴く場合と、伴奏を含めて聴く場合とで、高揚の感じ方も違ってきます。
「音楽がない」という言葉を、どう受け取るか

ラヴェルはこの作品を、きわめて限られた方向で行った実験として説明しています。作曲中の手紙にも、通常の作曲や展開より、管弦楽の効果へ関心を絞ったことがうかがえます。[6]
通常の主題展開では、旋律の一部を取り出して形を変えたり、異なる調へ移したりしながら曲を進めます。《ボレロ》では、そうした変化を極端に抑え、楽器の配置と音の重なりに、時間を進める役割を持たせています。
ラヴェルが《ボレロ》について「音楽がない」と語ったと伝えられるのも、この作曲方法と結びつけて読むと理解しやすくなります。新しい主題を出して展開させる手続きを極端に抑えた作品だ、という逆説的な表現として受け取れるでしょう。[7]
初演の舞台と、その後の《ボレロ》
最初は、酒場のテーブルの上で踊られた

1928年11月22日、パリ・オペラ座で初演された《ボレロ》は、ニジンスカの振付、アレクサンドル・ブノワの美術・衣装によるバレエでした。
舞台はスペインの酒場。ルビンシテインがテーブルの上で踊り、周囲の男たちがその踊りに引き込まれていくという設定です。音楽が一方向に熱を増す構造は、舞台でも集団の高揚と結びつけられていました。[1][2]

ラヴェル自身は、工場を背景にした上演への希望も後に語っています。規則的に動き続ける機械のイメージは、小太鼓が歩調を保つこの曲とよく重なります。スペインの踊りと機械の運動という、異なる二つの見方を持てる作品でもあります。[2]

トスカニーニとの衝突が示す、テンポへのこだわり
1930年1月11日には、ラヴェル自身の指揮により、パリで演奏会形式の《ボレロ》が披露されました。舞台の踊りを伴わず、管弦楽だけでも聴衆を引きつける作品として広まっていきます。[10]

その歩みの中で起きたのが、指揮者アルトゥーロ・トスカニーニとの衝突です。
1930年、トスカニーニがパリで指揮した演奏に対し、ラヴェルは速すぎると不満を示します。やり取りの細部には伝承による違いがありますが、テンポをめぐって意見が対立したことは、当時を知る人の証言にも残っています。[8]

《ボレロ》で音量が増していくことを、音楽用語では「クレッシェンド」と呼びます。一方、だんだん速くすることは「アッチェレランド」です。ラヴェルが求めたのは、基本的に一定のテンポを保ったまま、響きを増大させる演奏でした。
反復の途中で速度を上げれば、それ自体が新たな盛り上げ方になります。速さを保つかどうかは、この曲の高揚をどのようにつくるかに直結する問題でした。[1]
ベジャールが、旋律とリズムを身体に置き換えた
《ボレロ》は演奏会の定番になってからも、新たな振付を生み続けました。代表的なのが、1961年1月10日にブリュッセルで初演された、モーリス・ベジャール版です。最初に中心の役を踊ったのはドゥシカ・シフニオスでした。
この版では、中心で踊る一人が「旋律」を、周囲の男性群舞が「リズム」を担います。酒場の出来事を描く初演版とは異なり、音楽そのものの構造を人の身体で見せる発想です。後には男性も中心の役を踊り、ジョルジュ・ドンらによって受け継がれました。[11]
楽譜で確かめたい方へ
参考資料
[1] ブライトコプフ&ヘルテル《Bolero》校訂版序文
成立、初演、構造、転調、演奏史。
[2] ロサンゼルス・フィルハーモニック《Boléro》
編曲計画、バレエの設定、工場との関係。
[3] 東京都交響楽団・Robert Markowによる解説
舞曲、二つの旋律、反復の構成。
[4] クリーヴランド管弦楽団《Boléro》
独奏楽器の交代と響きの変化。
[5] Timbre and Orchestration Resource《Ravel | Boléro》
旋律の担当楽器と登場順。
[6] モルガン・ライブラリー&ミュージアム、バレエ関連展解説資料
自筆譜、1928年の手紙、実験としての構想。
[7] ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団《7 facts about Boléro》
作曲者に帰される発言と作品の受容。
[8] ニュージャージー交響楽団《Program Notes | Ravel’s Boléro》
トスカニーニとの対立に関する証言。
[9] フランス国立図書館《Boléro》作品書誌
成立年、初演、献呈、初版。
[10] フィルハーモニー・ド・パリ《Les Clés du classique #26 — Le Boléro de Ravel》
サマズイユの回想、当初の題名、1930年のパリ公演。
[11] ベジャール・バレエ・ローザンヌ《Boléro》
ベジャール版の初演日、初演者、旋律とリズムの役割。
画像と図解について
歴史資料の作者・年代・出典・利用条件は、各画像の下に記載しています。「イメージ」と記した画像は創作です。全体図は本文に基づく独自の鑑賞案内です。


