ブラームス《交響曲第4番》解説|バッハに由来する8音と、終楽章の30の変奏

窓の光が当たる木机とヴァイオリン
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終楽章の冒頭、管楽器の和音のいちばん上で、八つの音が一小節に一音ずつ進みます。やがて弦が細かく動き始めると、最初にあれほどはっきりしていた音の並びが、耳から隠れてしまいます。

ブラームスは、バッハのカンタータから着想を得たこの短い主題を、旋律の一部や和音の土台に使いました。30の変奏をすべて数えなくても、どの楽器が前に出て、どこで響きが変わるかを手がかりに、終楽章の流れを追うことができます。

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1分でわかる、この作品

《交響曲第4番 ホ短調》は、ブラームスが完成させた最後の交響曲です。全4楽章で約40分。第1楽章は弦のため息のような旋律で始まり、第2楽章ではホルンの呼びかけからチェロの歌へ移ります。第3楽章では一気に明るくなり、トライアングルまで加わります。その勢いを受ける終楽章は、低い金管が加わった八つの和音で始まります。聴きどころは、同じ主題から生まれる場面の落差です。フルートが静かに歌う中ほどを経て、最後は第1楽章と同じホ短調に着地します。

ブラームスの肖像
ヨハネス・ブラームス(C. Brasch撮影、1889年)。パブリックドメイン · 画像出典

まず聴くならここ

第4楽章の冒頭で、和音のいちばん上の音を追ってみてください。音名でたどると、ミ・ファ♯・ソ・ラ・ラ♯・シ・シ・ミ。シにたどり着くと同じ音をもう一度鳴らし、最後にミへ戻ります。続く変奏では、この輪郭をヴァイオリンの動きの中に探してみてください。

作品の基本情報

項目内容
作曲者ヨハネス・ブラームス(1833–1897)
作品名交響曲第4番 ホ短調 作品98
原題Sinfonie Nr. 4 e-Moll op. 98
作曲1884年と1885年の夏、オーストリアのミュルツツーシュラーク
初演1885年10月25日、マイニンゲン宮廷劇場。ブラームス指揮、マイニンゲン宮廷楽団
総譜の初版1886年、ベルリンのN・ジムロック社
構成・演奏時間全4楽章、約40分
編成フルート2(第2奏者はピッコロ持ち替え)、オーボエ2、クラリネット2、ファゴット2、コントラファゴット、ホルン4、トランペット2、トロンボーン3、ティンパニ、トライアングル、弦五部

成立背景|カンタータの低音を交響曲へ

1874年2月、バッハ研究者のフィリップ・シュピッタが、カンタータ《主よ、われ汝を仰ぎ望む》(Nach dir, Herr, verlanget mich)BWV 150の写しをブラームスに送りました。その終曲〈Meine Tage in dem Leide〉では、短い低音の型が繰り返される上で、合唱と器楽がさまざまに動きます。こうした変奏の形式をシャコンヌと呼びます。

バッハの肖像
ヨハン・セバスティアン・バッハ(Elias Gottlob Haussmann画、1748年)。パブリックドメイン · 画像出典

1882年1月、ブラームスは指揮者ハンス・フォン・ビューローらとこの終曲について話した際、低音の型を使って交響曲の一楽章を書けないかと考え、半音の動きを加える案にも触れたと伝えられます。実際にできた主題では、もとの上行する音の並びにラ♯が加わり、ラからシへ半音ずつ進みます。

作曲が始まったのは1884年の夏、オーストリアのミュルツツーシュラークでした。この夏に第1・第2楽章を作曲し、翌夏には終楽章を書き上げます。自筆譜のページ番号や用紙の構成から、演奏では終楽章の手前に置かれる第3楽章が、最後に書かれたことがわかります。

ブラームス博物館
ミュルツツーシュラークのブラームス博物館(Andrzej Otrębski、2023年、縮小・WebP変換)。CC BY-SA 4.0 · 画像出典

鑑賞ガイド|第1楽章から第4楽章まで

第1楽章の弦、第2楽章のホルンとチェロ、第3楽章の打楽器、第4楽章の変奏
四つの楽章の流れ(図解)

第1楽章 Allegro non troppo|ヴァイオリンの二音が、楽章を動かす

ヴァイオリンが、短い間を挟みながら音を二つずつ歌います。冒頭の四つの音は、シからソへ下がり、次のミへ跳び上がって、ドへ下がります。真ん中の「ソからミへ」という跳躍も、ミを一オクターヴ下に置くと、ほかと同じ下向きの三度です。すべてを下向きの三度にそろえた音の列を、ところどころ高い位置に戻すことで、揺れながら進む旋律にしています。

冒頭では弦の歌のすぐあとを木管が追い、旋律の周りに小さな反響ができます。やがて短い三連符が前に出ると、弦の歌の合間に、前を急ぐような細かいリズムが入り込みます。低い弦に現れる大きな歌も、冒頭の二音ずつの語り口に比べると息が長く、オーケストラの鳴り方が広がるところです。

曲の前半で出た主題が戻る部分を「再現部」と呼びます。この楽章の再現部では、冒頭のヴァイオリンが歌った音を木管が一つずつ長く伸ばすため、同じ旋律が戻ってきたことに気づくまで少し時間がかかります。終わりに近づくと短い音型が力を増し、冒頭のためらうような歌からは想像しにくい勢いで結ばれます。

第2楽章 Andante moderato|ホルンの呼びかけからチェロの歌へ

まずホルンが、区切りのはっきりした旋律を吹きます。木管が加わっても、その冒頭には、よくある長調や短調の旋律とは少し違う響きが残ります。耳に引っかかりやすいのは、中心となるミのすぐ上に、半音違いのファがあることです。この音の並びは、ミを中心とするフリギア旋法の色合いを持っています。

ほどなくクラリネットが柔らかく旋律を受け持ち、弦のピッツィカートが下で小さく歩みます。ピッツィカートとは、弓を使わず指で弦をはじく奏法です。音がすぐに消える伴奏の上では、クラリネットが伸ばす音の線がよく通ります。冒頭の呼びかけを覚えていると、似た音の動きでも、鳴らし方によって表情がほどけるのが聞き取れます。

次に耳を向けたいのはチェロです。チェロが長い息で歌い始めると、それまでの区切りがちなフレーズから、ひと続きの線を追う聴き方に変わります。この旋律は後半にも現れ、周囲の楽器が厚くなるにつれて力を増します。第2楽章を聴き返すなら、同じチェロの歌が最初と後半でどれほど違う重さを持つかを比べると、楽章全体の起伏が見えてきます。

第3楽章 Allegro giocoso|トライアングルが弾けるハ長調

出だしからオーケストラが強く鳴り、ハ長調の明るい響きが広がります。ピッコロとトライアングルが登場するのは、全曲でここだけです。高音の鋭さに対し、低いところではコントラファゴットが合奏を支えています。

第3楽章は、交響曲のなかでスケルツォが置かれることの多い位置にあります。ここでは二拍子のはっきりした足取りが特徴です。中ほどで勢いがゆるみ、ホルンが穏やかに歌うと、短い音を全員で刻んでいたときとは違う距離感が生まれます。そのあとで冒頭の勢いが戻り、明るいハ長調のまま楽章を駆け抜けます。

第4楽章 Allegro energico e passionato|八小節が歌にも、激しい合奏にもなる

ここで初めてトロンボーンが加わり、木管や他の金管とともに主題を提示します。その直後、弦の動きの中に入っていくのが第1変奏です。以後、主題の音が低音に回ったり、和音の内側に紛れたりします。こうして短い音型や和声を繰り返しながら変化を重ねるこの楽章は、シャコンヌのほか、パッサカリアとも呼ばれます。

弦の細かな動きや強い合奏が続いたあと、音がふっと薄くなるのが第12変奏です。拍子が4分の3から2分の3に変わり、フルートがゆったりとした三拍子に乗って、長い旋律を歌い始めます。

フルート独奏に続く静かな一帯では、ホ長調の響きに移り、トロンボーンを中心としたコラール風の和音が現れます。冒頭で一音ずつ強く打ち出していた楽器が、ここでは音を伸ばし、声を合わせて歌うように響きます。

やがて第16変奏でホ短調の強い管の響きが戻り、終楽章の入口が思い出されます。そこからさらに変奏を重ね、終結部のコーダに向けて、規則的だった八小節の区切りが崩れます。コーダの楽譜には、さらに速くという意味の「Più allegro」。弦の動きがせわしくなり、最後はホ短調の和音を強く打ち出します。

まず聴きたい3つの場面

濃い青緑の布に置かれた銀色と金色の管楽器
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1. 第1楽章の後半。静かな木管が伸ばす音を、冒頭のヴァイオリンと聴き比べます。

2. 第2楽章の前半。クラリネットの下で、指ではじいた弦の音がどのくらい短く消えるかに耳を向けます。

3. 第3楽章の終わりから第4楽章の冒頭。続けて再生し、トライアングルの高い金属音から、トロンボーンの加わる和音へ耳を移します。

深く楽しむ視点

主題提示、第12変奏のフルート、第16変奏のホ短調、終結部
終楽章を聴く四つの目印(図解)

フルート独奏でも、変奏の流れは続いている

変奏の区切りをつかむなら、まず終楽章の最初の八小節と、その直後の八小節を続けて聴いてみてください。冒頭では和音が切り替わるたびに一つと数え、弦が動き始めても、同じ間隔で数え続けてみます。表面の動きが細かくなっても、同じ長さの単位が続いているとわかります。

フルート独奏でも、変奏は八小節でひとまとまりです。ここでは拍がゆったりするので、冒頭と同じ速さで数えるとずれてしまいます。フルートの旋律からいったん耳を離し、下で響く和音の移り変わりを追ってみましょう。

なぜ最後の強奏が、勝利のように響かないのか

ベートーヴェンの《交響曲第5番》では、ハ短調で始まった交響曲が、終楽章でハ長調の輝きに到達します。終楽章まで出番を待ったトロンボーンが、その明るさに厚みを加えます。ブラームスの第4番にも長調の開ける場所はあります。第3楽章のハ長調に加え、終楽章の中ほどでも、ホ短調と同じミを中心にしたホ長調が穏やかに響きます。

そのホ長調を一度聴いたあとで、音楽はホ短調へ戻ります。最後の強奏も、出発点と同じホ短調に着地します。第3楽章と終楽章では、ともにオーケストラが力いっぱい鳴っていても、前者では拍の勢いに身を任せたくなり、後者では先へ追い立てられるように感じられます。音量よりも、強い音がどの調に着地するかに耳を向けると、この交響曲の終わり方がよく伝わります。

試演、初演とその後|マイニンゲンから晩年のウィーンへ

二台ピアノの試演で出た異論

1885年10月14日、ブラームスはウィーンで、ピアニストで作曲家のイグナーツ・ブリュルとともに、自作の二台ピアノ版を友人や音楽家に披露しました。反応は慎重でした。批評家マックス・カルベックは、第3楽章を外し、終楽章は独立した作品として出版して、代わりに二つの楽章を書くよう勧めたと伝えられます。ブラームスは、変奏曲で終わる交響曲の先例としてベートーヴェンの《英雄》を挙げ、二つの楽章を残しました。

イグナーツ・ブリュルの肖像
イグナーツ・ブリュル(Fritz Luckhardt撮影、1894年より前)。パブリックドメイン · 画像出典

マイニンゲンのリハーサルから初演へ

数日後、マイニンゲンで管弦楽のリハーサルが始まります。宮廷楽団を率いていたビューローは、稽古を終えると、作品の独創性と全曲を貫く力を演奏会の仲介を担うヘルマン・ヴォルフに書き送りました。ブラームスはこの楽団との初演を決め、10月25日、マイニンゲン宮廷劇場で自ら指揮します。

ハンス・フォン・ビューローの肖像
ハンス・フォン・ビューロー(George Grantham Bain Collection、1880年とされる肖像)。パブリックドメイン · 画像出典

初演の前後には、第1楽章の出だしも検討し直しています。ブラームスは冒頭の旋律の前に四小節の導入を一度書き足し、遅くとも11月4日までに削りました。初演で導入が鳴ったかはわかっていません。出版譜では、ヴァイオリンの旋律からすぐに始まります。11月には宮廷楽団の演奏旅行に同行し、フランクフルトやアムステルダムなどで自作を指揮しました。

旧マイニンゲン宮廷劇場
1908年までの旧マイニンゲン宮廷劇場(絵はがき、Kramer96編集)。パブリックドメイン · 画像出典

ウィーン初演と、最後に立ち会った演奏会

翌1886年1月17日、ハンス・リヒターがウィーン初演を指揮しました。批評家エドゥアルト・ハンスリックは、一度聴いただけでは汲み尽くせない作品だと評しています。同年、総譜がベルリンのジムロック社から出版されました。

1897年3月7日、リヒターはウィーンで再びこの曲を指揮します。病が進んでいたブラームスも会場に足を運び、聴衆から温かい拍手を受けました。終演後には、楽団員たちも拍手で作曲者を迎えたと伝えられます。これがブラームスが聴衆として出席した最後の演奏会となり、翌月の4月3日に亡くなりました。

楽譜・参考資料

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作品解説
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