メンデルスゾーン《フィンガルの洞窟》解説|海のうねりを生んだ短い旋律

最初の数秒で、海が動きはじめる

曇り空の下に広がる海と岩の島々のイメージ
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低い弦楽器とファゴットが、短い音のまとまりを奏でます。繰り返すたびに響きが変わり、やがてオーケストラ全体が大きくうねりはじめます。

メンデルスゾーンの序曲《フィンガルの洞窟》は、スコットランド西方の海と島々から生まれました。低い響きから立ち上がる音楽は、海が静まるときにも、荒れるときにも表情を変えます。

その着想を得たとき、作曲者は20歳でした。旅先で思い浮かべた楽想を手紙に記し、数年をかけて一つの作品へ育てていきます。

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概要 / 成立背景 / 鑑賞ガイド / 聴きどころ / 二つの曲名

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1分でわかる《フィンガルの洞窟》

《フィンガルの洞窟》Op.26は、メンデルスゾーンが1829年のスコットランド旅行から着想した、管弦楽のための演奏会用序曲です。《ヘブリディーズ諸島》という題名でも知られています。

音楽の柱になるのは、冒頭の短い音のまとまりと、チェロやファゴットが奏でる息の長い旋律。これらが楽器や表情を変えながら現れ、穏やかな歌、激しい合奏、クラリネットの静かな二重奏へとつながります。

オペラや劇の前奏ではなく、一曲で完結する作品です。海の景色を思い浮かべながら、同じ旋律がどのように変わって戻ってくるかにも耳を向けると、短い曲の中にある豊かな変化を楽しめます。

まず聴くなら、冒頭の30秒

低い楽器が繰り返す、短い音の形を耳に残してみてください。曲全体を通して何度も現れる、聴くときの目印になります。

《フィンガルの洞窟》の基本情報

項目内容
作曲者フェリックス・メンデルスゾーン(1809–1847)
作品名序曲《フィンガルの洞窟》/《ヘブリディーズ諸島》
原題Die Hebriden/Die Fingals-Höhle
作品番号Op.26、MWV P 7
ジャンル演奏会用序曲
調性ロ短調
成立1829年に着想、1830年に最初の全曲稿を完成。その後も改訂
初演1832年5月14日、ロンドンのフィルハーモニック協会の演奏会。トーマス・アトウッド指揮
構成単一楽章。ソナタ形式を基本とする
編成フルート、オーボエ、クラリネット、ファゴット各2、ホルン2、トランペット2、ティンパニ、弦楽器
演奏時間約10~11分
この記事の対象現在一般に演奏される改訂後の形

20歳の旅人が、島々の風景を楽譜にするまで

若いメンデルスゾーンを描いた水彩肖像
メンデルスゾーン。J. W. Childe作、1829–1830年頃。パブリックドメイン。 出典:Wikimedia Commons

洞窟へ行く前に生まれていた楽想

1829年、メンデルスゾーンはイギリスへ渡りました。すでに《弦楽八重奏曲》や《夏の夜の夢》序曲を書いていた彼は、ロンドンで演奏活動を行い、その夏、友人カール・クリンゲマンとスコットランドへ向かいます。

エディンバラでは、後に交響曲第3番《スコットランド》へつながる着想も得ました。二人はそこから高地を通り、西海岸へ進みます。

8月7日、メンデルスゾーンはマル島のトバモリーから家族へ手紙を書きました。ヘブリディーズからどれほど強い印象を受けたかを伝えるために、そこで思い浮かんだ音楽を示す、という内容です。添えられたのは、楽器の指定を含む21小節のスケッチ。後の序曲の冒頭につながる楽想でした。

スタファ島のフィンガルの洞窟を訪れたのは、その翌日の8月8日です。洞窟を見る前に、音楽の核はすでに生まれていました。島へ向かう海路や、海に浮かぶ島々を含む旅が、この作品の背景にあります。

フィンガルの洞窟は、どんな場所?

柱状の玄武岩が並ぶスタファ島フィンガルの洞窟の入口
フィンガルの洞窟の入口。Lesbardd撮影、2016年8月26日。CC BY-SA 4.0。縮小・WebP変換。 出典:Wikimedia Commons / CC BY-SA 4.0

スタファ島は、スコットランド西方のヘブリディーズ諸島に属する小さな島です。フィンガルの洞窟は海へ開いており、その周囲には、柱のような形をした玄武岩が並んでいます。

この規則正しい形は、溶岩が冷えて固まる過程で生じた割れ目によるものです。波が岩の隙間へ入り、長い時間をかけて岩を崩すことで、海の洞窟がつくられました。

同行したクリンゲマンは、岩の柱が並ぶ洞窟を、巨大なオルガンの内部になぞらえています。自然の岩が人工の建造物のように並ぶ、独特の景観でした。

また、メンデルスゾーンは、スタファ島へ向かう船でひどい船酔いに苦しんだという記録も残っています。

ローマでまとめ、さらに書き直す

黒い服を着たファニー・ヘンゼルの肖像
ファニー・ヘンゼル。M. D. Oppenheim作、1842年。本文の手紙より後の肖像。パブリックドメイン。 出典:Wikimedia Commons

スコットランドを離れたあとも、作品はすぐには完成しませんでした。最初の全曲稿を仕上げたのは、翌1830年12月16日、ローマでのことです。

1832年1月、姉ファニーへの手紙では、なお完成したとは思えないと述べています。特に不満だったのは中間部分でした。複数の旋律を組み合わせる「対位法」が目立ちすぎ、海鳥や魚を思わせる海の感触が足りない、という趣旨の辛辣な自己批評です。

メンデルスゾーンは中間部を書き直し、ロンドンでの初演に向けて新しい稿を用意しました。

音楽をたどる|二つの主題がつくる海の変化

提示部の二主題、展開部、再現部、コーダの順に聴く目印をまとめた図
音楽の流れを示す鑑賞案内。各段の幅は演奏時間の比率を示しません。

全体の骨組みは「ソナタ形式」です。二つの中心的な旋律、つまり主題を紹介する「提示部」、それらを組み替えて動かす「展開部」、主題が戻る「再現部」を経て、結びの「コーダ」へ進みます。

以下の小見出しは、音の流れを追うためのこの記事の鑑賞案内です。作曲者が場面名や筋書きを付けたものではありません。

1.低い響きから、波のような動きが広がる

曲は長い前置きを置かず、ヴィオラ、チェロ、ファゴットによる短い音型で始まります。音が下へ向かう形を耳に残してください。これが第一主題の核になります。

その音型が繰り返されると、少しずつ音の高さや響きが変わり、旋律はヴァイオリンへ渡っていきます。下の声部では細かな動きが続き、音楽にうねりを与えます。

旋律の動きと、その下を流れる細かな音が重なるため、一つの波が寄せている間にも、次の波が動きはじめているように聴けます。

やがて強いアクセントが加わり、響きが膨らみます。

2.チェロとファゴットが、長い旋律を歌う

最初の主題が短いまとまりを繰り返すのに対し、次に現れる第二主題は、ゆったりと長く歌います。受け持つのは、チェロとファゴットです。

ここではロ短調からニ長調へ移り、響きが明るく開けます。低い楽器の厚みを保ちながら旋律が伸びていくため、冒頭よりも視界が広がるような印象を受けます。

細かな動きの上に、ひと息で大きな線を描く旋律が乗ってきたら、第二主題の目印です。伴奏の流れは止まらず、穏やかな歌にも揺れを感じさせます。

3.短い音型が組み替えられ、響きが荒くなる

中ほどでは、それまでの材料が短く切り分けられ、楽器から楽器へ受け渡されます。第一主題の音の形も、強く刻まれたり、異なる響きの中へ置かれたりして、落ち着かない表情を見せます。

弦楽器の速い動きに、木管楽器や金管楽器の呼び交わしが重なると、音の密度が増していきます。強弱の変化や鋭いアクセントから、風や波の勢いを思い浮かべることもできるでしょう。

ここが展開部です。短い音があちこちから現れ、響きも次々に変わるため、落ち着き先がすぐには見えません。冒頭で覚えた形が、この不安定な動きの材料にもなっています。

4.クラリネットが、静かな歌を取り戻す

第一主題が戻ると、再現部に入ります。さらに進むと、二本のクラリネットが第二主題を奏でます。

最初はチェロとファゴットで聴いた旋律が、ここでは柔らかい木管の響きに変わります。周囲の勢いが収まるため、旋律の線がいっそうはっきりと浮かび上がります。

激しい合奏を経てから聴くため、前半よりも静けさが際立ちます。

5.最後の勢いが引き、短い響きが残る

結びのコーダでは、音楽がもう一度勢いを増します。

そのまま強い響きで押し切るのかと思うと、終わり近くで音は静まります。クラリネットに冒頭を思わせる音型が残り、フルートの上向きの動きと、弦を指ではじく短い響きが結びをつくります。

まず聴きたい三つの場面

黒い岩に砕ける波のイメージ
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全曲を聴くときは、次の三か所を目印にしてみてください。録音ごとの時刻ではなく、楽器と音楽の変化で探せます。

  • 冒頭:短い音型を覚え、後の場面でその面影を探します。
  • 後半のクラリネット二重奏:前半の第二主題と、音色の違いを聴き比べます。
  • 終わり近く、強奏が静まるところ:合奏のあとに残る木管と、弦をはじく音へ耳を向けます。

「フィンガルの洞窟」と「ヘブリディーズ諸島」の二つの名前

光と波に包まれたスタファ島を描いたターナーの絵画
ターナー《スタファ島、フィンガルの洞窟》、1831–1832年。パブリックドメイン。 出典:Wikimedia Commons

この作品は、成立の途中から出版に至るまで、複数の題名で呼ばれました。「孤島」を意味する題名や、《ヘブリディーズ諸島》、英語の「フィンガルの島々」にあたる名称も使われています。

編曲譜、管弦楽のパート譜、総譜でも題名は統一されず、現在まで二つの名前が残りました。どちらも同じOp.26を指します。

洞窟の名にある「フィンガル」は、ケルトの英雄伝承につながります。スタファ島には、奇妙な形の岩や洞窟に加え、こうした伝説も結びついていました。18~19世紀には、その自然と古い物語が、旅行者や芸術家の関心を集めました。

海らしさを生むのは、動く音と支える音

細かな波紋と大きなうねりが重なる水面のイメージ
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伴奏へ注意を移すと、海のような流れを生む仕組みが見えてきます。

この曲では、長く伸びる音と、細かく動く音が重なります。伸ばされた音が響きの土台をつくり、その周りで音型が動くため、静かな場面でも内部の流れが止まりません。そこへ急な強音が入れば、同じ流れが、岩に波の当たるような鋭さを帯びます。

木管楽器は各二本、金管楽器はホルンとトランペットが各二本。トロンボーンやチューバを加えない編成の中で、低音の厚み、木管の柔らかさ、弦の細かな動きを使い分けています。

次に聴くときは、一度だけ旋律から耳を離し、その下で動いている音を追ってみてください。海の印象を支える、途切れない運動に気づきやすくなります。

初演の評価と、出版まで続いた改訂

1829年の着想、1830年の全曲稿、1832年初演、1833年連弾版、1834年パート譜、1835年総譜の年表
初演後も改訂が続き、編曲譜・パート譜・総譜は別の年に出版されました。

初演は1832年5月14日、ロンドンのフィルハーモニック協会の演奏会で行われました。指揮はトーマス・アトウッドです。

メンデルスゾーン自身は、演奏がうまくいったと報告しています。批評には温度差がありました。『ハーモニコン』は高く評価しましたが、『アシニーアム』は情景を描く音楽として否定的に論じています。

初演後も細部の改訂は続きます。1833年には本人によるピアノ連弾版、1834年には管弦楽のパート譜、1835年には総譜が刊行されました。

旅先の着想から最初の全曲稿まで一年以上、そこから初演までさらに一年余り。短い演奏時間の中に収まる音楽は、こうして時間をかけて整えられました。

次に聴くときは、二つの主題を目印に

まずは、冒頭の短い音型と、そのあとに現れる長く歌う旋律を聴き分けてみてください。二つの目印があれば、激しい中間部を経て、主題が帰ってくる流れをつかみやすくなります。

メンデルスゾーンの生涯|神童から、音楽の未来を育てた作曲家へ
メンデルスゾーンの生涯を、神童時代、姉ファニーとの関係、バッハ復興、旅から生まれた代表作、ゲヴァントハウスと音楽院での仕事からたどります。楽譜の知識がなくても楽しめる聴きどころ付き。

楽譜と参考資料

作曲家と名曲の物語を、
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作品解説
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