
「ジャジャジャジャーン」。
ベートーヴェンの《交響曲第5番》は、冒頭の四つの音で知られています。短い音が三つ、続いて長い音。そして、動きが引き止められるような間。この短い始まりが、全曲を動かす材料になります。
小さな音でささやかれ、ホルンで力強く呼びかけられるうちに、同じリズムの印象も変わっていきます。さらに最後の楽章へ進むと、冒頭とはまるで違う、明るく広い響きが待っています。
《運命》の面白さは、よく知っている形が、曲の中で別の表情を見せるところにあります。四つの音を手がかりに、全四楽章をたどってみましょう。
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1分でわかる、交響曲第5番「運命」
ベートーヴェンの《交響曲第5番》は、1808年にウィーンで公開初演された、ハ短調の交響曲です。全4楽章、演奏時間は約30〜35分。冒頭の「短・短・短・長」というリズムが、形を変えて後の楽章にも現れます。第1楽章の切迫した音楽に続き、第2楽章では穏やかな歌と堂々とした響きが交代。第3楽章は低い弦の不穏な動きから始まり、静かな緊張を経て、明るいハ長調の終楽章へ切れ目なく進みます。「運命」は作曲者自身が付けた標題ではなく、その由来となった逸話にも疑問が残ります。初めて聴くなら、有名な冒頭に加え、第3楽章から第4楽章へ移る瞬間に注目してみてください。
作品の基本情報
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 作曲者 | ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(1770〜1827) |
| 作品名 | 交響曲第5番 ハ短調 作品67 |
| 原題 | Symphonie Nr. 5 c-Moll, op. 67 |
| 通称 | 「運命」。作曲者による正式な標題ではありません |
| 作曲 | 1804年ごろから構想し、主に1807〜1808年に作曲。1808年中も改訂を継続 |
| 公開初演 | 1808年12月22日、ウィーンのアン・デア・ウィーン劇場 |
| 献呈 | ロプコヴィッツ侯爵、ラズモフスキー伯爵 |
| 出版 | 1809年にパート譜、1826年に総譜を刊行 |
| 構成 | 全4楽章。第3楽章と第4楽章は続けて演奏 |
| 編成 | フルート、オーボエ、クラリネット、ファゴット、ホルン、トランペット各2、ティンパニ、弦楽合奏。終楽章にピッコロ、コントラファゴット、トロンボーン3本が加わります |
| 演奏時間 | 約30〜35分 |
| この記事の対象 | 管弦楽の原曲全4楽章 |
「運命が扉をたたく」は、本人の言葉なのか
この交響曲には、「運命はこのように扉をたたく」という有名な言葉が結びついています。ベートーヴェンが冒頭の意味をそう説明した、と伝えたのは、伝記作者のアントン・シンドラーでした。
ただし、この発言の確かさには疑問があります。シンドラーはベートーヴェンの晩年を知る人物ですが、その記述には事実として信頼できないものもあり、ベートーヴェン・ハウスや現代の校訂資料も、この言葉を確実な本人の発言として扱っていません。「運命」は、作曲者が楽譜に記した標題ではないのです。[1][2]
一方、ベートーヴェンが実際に手紙に書いた「運命」への言葉は残っています。1801年11月16日、友人の医師ヴェーゲラーへ、運命の喉元をつかみ、完全には屈服しないという強い意思を伝えました。同じ手紙には、聴力の衰えが人との交流や活動を妨げていることも記されています。[3]
これは第5番の本格的な作曲より前の手紙で、作品を解説した文章ではありません。それでも、難聴に悩みながら音楽家として生きようとした、本人の姿勢は伝わります。
この曲が「苦悩から勝利へ」と語られることには、音楽上の理由もあります。緊張の強いハ短調で始まり、最後は明るく力強いハ長調へ到達するからです。ただし、全曲に筋書きがあるわけではありません。
《田園》と並んで生まれた、緊密な交響曲
第5番のスケッチは、1804年ごろまでさかのぼります。作曲は一気に進んだわけではなく、途中には《交響曲第4番》や《ヴァイオリン協奏曲》など、別の作品への取り組みが挟まっていました。集中的に仕事が進んだのは、主に1807年から1808年にかけてです。
同じ時期に書かれたのが、第6番《田園》でした。第5番の引き締まった音楽と、《田園》のゆったりした広がり。性格の異なる二つの交響曲を、ベートーヴェンは並行して形にしています。激しさと穏やかさの両方を、この時期のベートーヴェンは書き分けていました。[4]

1808年初めには、おおむね演奏できる形の総譜が整っていました。それでも作業は続きます。校訂者イェンス・ドゥフナーの解説によれば、ベートーヴェンはその年の夏以降も細部を修正し、初演に関わる段階では第1楽章のフェルマータを長く保つための小節も加えました。[2]
冒頭で音が長く引き延ばされる時間まで、推敲の対象になっていました。音の並びだけでなく、その間合いも練り直されていたのです。

作品の成立には、依頼主との入り組んだ経緯もあります。当初、第5番はオッペルスドルフ伯爵のために用意され、ベートーヴェンは報酬の一部を受け取っていました。ところが1808年11月、経済的な必要から、その交響曲ともう一つの交響曲を別の人物へ譲ったと、伯爵に手紙で説明します。
資料では、その相手はロプコヴィッツ侯爵と考えられています。出版時の献呈先には、ロプコヴィッツ侯爵とラズモフスキー伯爵の二人が並びました。なお、オッペルスドルフ伯爵に献呈されたのは第4番です。[2][5]

第1楽章|四つの音が、音楽を動かし続ける
以下の楽章見出しの副題は、この記事の鑑賞案内です。作曲者による標題ではありません。

Allegro con brio/ハ短調/ソナタ形式
ゆっくりした前置きはありません。弦楽器とクラリネットが、同じ音を三回打ち、低い音へ下りて長く保ちます。続いて、少し低い位置から同じ形が現れる。二度の強い呼びかけのあと、音楽が動き出します。
この短いまとまりは「動機」と呼ばれます。動機とは、旋律や主題を組み立てる材料になる短い音の形です。まずは「短い音三つと長い音一つ」という形を覚えると、あとを追いやすくなります。
聴いていると、この動機は大きく鳴り響くだけでなく、小さな音で繰り返されたり、別の楽器へ受け渡されたりします。音の高さや強さが変わっても、リズムの輪郭が残るため、曲が遠くへ進んでも同じ力が働いているように感じられます。
やがてホルンの呼びかけに続いて、ヴァイオリンがやわらかな旋律を歌います。切迫した冒頭から、少し息をつける場所へ移ったように聴こえる場面です。ここでは、ヴァイオリンの旋律と低い弦を聴き分けてみてください。旋律がなめらかになっても、その下では冒頭に結びつくリズムが刻まれています。[6]
ソナタ形式は、大まかには、主な旋律を示す「提示部」、その材料を組み替える「展開部」、主な旋律が戻る「再現部」からできています。この楽章では、その「戻る」場面にも予想外の出来事があります。
冒頭の激しい音楽が戻ったあと、突然、オーボエが一人で短く歌い出すのです。周囲の進行が止まり、自由に語るような旋律が浮かびます。長い独奏ではありません。それまでリズムが休まず迫ってきた分、このわずかな時間が耳に残ります。
独奏が終わると、音楽は再び動き出します。終わりに向けても緊張はほどけず、ハ短調の強い響きで締めくくられます。[7][8]
第2楽章|低い弦の歌が、何度も姿を変える
Andante con moto/変イ長調/変奏を中心とする楽章
第2楽章は、ヴィオラとチェロの落ち着いた歌で始まります。第1楽章の鋭い響きから、ゆったりした歩みへ移ります。速度表示の con moto には「動きをもって」という意味があり、静かな中にも音楽は先へ進みます。
この楽章の楽しみは、旋律が戻るたびに、そのまとい方が変わることです。同じ歌でも、音が細かく飾られたり、受け持つ楽器が替わったりすると、なめらかさや明るさが違って聴こえます。「この歌はさっきもあった」と気づいたら、音色や伴奏の違いを比べてみましょう。
もう一つの柱となるのが、堂々とした行進曲風の音楽です。トランペットやティンパニが加わると、穏やかな歌から、はっきりした足取りへ切り替わります。柔らかな弦の歌から、金管と打楽器の加わる力強い合奏へ変わる場面です。
二つの性格の異なる音楽を軸に、変奏が進みます。冒頭の歌を覚えておけば、後で音が細かくなったときにも、その奥にある旋律を追えます。楽器が替わるときは、歌の形を保ちながら音色がどう変わるかにも耳を向けてみてください。[4][7]
第3楽章|力強い呼びかけが、ささやきに変わる
Allegro/ハ短調/スケルツォの性格を持つ楽章
今度はチェロとコントラバスが、低いところから静かに音を持ち上げます。輪郭のくっきりした第1楽章とは違い、何かが姿を現しかけるような始まりです。
そこへホルンが力強く入ります。短い音を三つ重ねてから、長い音へ。音程も拍子も第1楽章と同じではありませんが、冒頭を思わせるリズムが、ここでは大きな呼びかけとして響きます。
この楽章はスケルツォの性格を持ち、最初の部分と、中間部の「トリオ」、そして最初の部分の再登場という大きな流れで進みます。トリオはここでは曲の一部分を指す名前で、三人だけで演奏するという意味ではありません。
そのトリオに入ると、低い弦が忙しく走り始めます。チェロとコントラバスが示した動きを、ほかの声部が順に追いかけ、重なっていく。低音楽器が全体を支える役から前面へ出るため、合奏の重心まで動いたように感じられます。
そして最初の部分が戻りますが、同じ強さでは繰り返されません。力強かった呼びかけは弱くなり、弦には、弓でこする代わりに指で弦をはじく、ピッツィカートの響きが現れます。知っている形なのに、その存在感が薄くなっている。
音楽は小さな響きへ沈み、ティンパニの静かな打音が残ります。ここで一つの楽章を終えて休むかと思うと、そうはなりません。弦の動きが加わり、音量と緊張が少しずつ増していきます。
小さな打音から、大きな合奏が現れるまで。その長い移行を一続きに聴くと、次の楽章へ入る瞬間の変化が際立ちます。[6][8]
第4楽章|ハ長調の大きな響きへ、休みなく踏み出す
Allegro/ハ長調/ソナタ形式
第3楽章から切れ目なく、大きな合奏が現れます。ハ短調の緊張からハ長調の明るい響きへ。上へ伸びる主題が、はっきりした足取りで進み始めます。
ここでオーケストラに加わるのが、ピッコロ、コントラファゴット、3本のトロンボーンです。高い音域に鋭い輝きが加わり、低い音域には厚みが増す。その間を金管の豊かな響きが満たします。前の楽章との違いを、音量だけでなく響きの上下の広がりでも感じられる場面です。[4][9]
終楽章では、冒頭の堂々とした主題に続いて、新しい旋律や細かな動きが次々と現れます。全体に明るい推進力がありますが、途中では、その流れがいったん引き止められます。
第3楽章の静かな音楽が、もう一度戻ってくるのです。
さきほど通り抜けた暗い場所が、終楽章の中に入り込むような場面です。初めて聴くと驚くかもしれませんが、第3楽章の弱い呼びかけを覚えていれば、そのつながりに気づけます。その響きを経て、終楽章の明るい主題が再び立ち上がります。[8]
最後は、すぐには終わりません。テンポを速め、ハ長調の響きを何度も打ち込みながら、終わりを大きく引き延ばします。この長い締めくくりを、それまで残っていた緊張を振り払うような身ぶりとして聴くと、繰り返しにも重みが感じられるでしょう。[9]
まず聴きたい、三つの場面

全曲を一度に聴く時間がないときは、異なる面白さを持つ次の三か所がおすすめです。
第1楽章の、オーボエが一人で歌うところ。 冒頭の激しい音楽が戻ったあとに現れます。そこだけを聴くより、少し手前から再生し、リズムの流れが止まる変化を味わってみてください。
第3楽章のトリオ。 ホルンの強い呼びかけを経て、チェロとコントラバスが走り出す中間部です。低い弦から始まった動きが、どのようにほかの声部へ広がるかを追うと、合奏の組み立てが聴こえてきます。
第3楽章の終わりから、第4楽章の始まり。 ティンパニの小さな音を目印に、休みなく続けて聴きます。音が開く直前の静けさまで含めて、この曲を代表する聴きどころです。
四つの楽章を結ぶ、リズムと調性

四つの楽章には、リズムのつながりと、響きの行き先をめぐるつながりがあります。
リズムは、旋律が変わっても音楽を結びます。第1楽章の歌うような旋律の下にも、冒頭に結びつく動きが残っていました。主旋律だけでなく伴奏まで聴くと、違う表情の場面が同じ材料からできていることに気づきます。
調性の面では、終楽章に至る前にもハ長調が現れることが、聴く手がかりになります。第2楽章の堂々とした合奏や、第3楽章のトリオでも、その明るい響きに触れられます。明るさは最後に突然持ち込まれるのではなく、途中にも姿を見せているのです。[8]
そして終楽章では、ハ長調が大きな位置を占める中へ、第3楽章のハ短調の音楽が戻ります。楽章の境を越えて以前の音楽を呼び戻すことで、四つの楽章が一続きの経験として結ばれます。
「苦悩から勝利へ」という言葉が耳に合うと感じたら、その感覚を、短調から長調への変化や、過去の音楽が戻る仕組みと結びつけてみてください。印象を作り出す音楽の構成まで見えてきます。

寒い劇場での初演から、広く知られる作品へ
1808年12月22日、ベートーヴェンはアン・デア・ウィーン劇場で、自作を集めた演奏会を開きました。第5番と第6番に加え、《ピアノ協奏曲第4番》や《合唱幻想曲》などが並ぶ、約4時間の長い催しです。第6番が前半、第5番が後半に置かれました。

会場は寒く、十分なリハーサルもできていませんでした。当日聴いていたヨハン・フリードリヒ・ライヒャルトは、長時間の演奏と演奏上の不備について書き残しています。現在のように、よく知られた第5番を目当てに落ち着いて聴く公演とは、ずいぶん違う条件でした。[9]


作品は1809年にパート譜で出版されます。各奏者が自分のパートを読むための楽譜が先に出て、すべての楽器を一緒に記した総譜の初版は1826年でした。フリードリヒ・シュナイダーによるピアノ連弾編曲も早くに刊行され、家庭でも取り組める形で、作品を広める役割を果たします。[2]

1810年には、作家・音楽家のE・T・A・ホフマンが『一般音楽新聞』に詳しい批評を発表しました。彼はこの交響曲を高く評価し、聴き手の内面に広がる大きな感情と、音楽の緊密な構成に目を向けています。[8]

さらに20世紀には、冒頭のリズムが別の意味でも広まりました。第二次世界大戦中、短い音三つと長い音一つが、モールス信号の「V」と一致することから、連合国側の勝利を示す象徴として用いられたのです。「運命」という逸話に加え、その時代の人々が与えた意味も、この曲の受け取られ方を形作ってきました。[10]
参考資料・画像出典
[1] ベートーヴェン・ハウス:交響曲第5番 作品67 — 成立、献呈、「運命」の逸話。
[2] G. Henle Verlag:イェンス・ドゥフナーによる校訂版序文 — 改訂、依頼主との関係、初演資料、出版。
[3] ベートーヴェン・ハウス:Fate — 1801年11月16日付ヴェーゲラー宛書簡の原文と英訳。
[4] ロサンゼルス・フィル:作品解説(John Henken) — 編成、演奏時間、作曲の背景と各楽章。
[5] Beethoven Music Research Center:Opus 067 — オッペルスドルフへの手紙、成立と献呈。
[6] ポートランド交響楽団:作品解説 — 動機と伴奏、楽章を横断するリズム。
[7] インディアナポリス交響楽団:作品解説(Marianne Williams Tobias) — オーボエ独奏、第2・第3楽章の特徴。
[8] Eastman School of Music:Beethoven Symphony Basics — 形式と調性、終楽章での回想、ホフマンの批評。
[9] Boston Baroque:作品解説(Martin Pearlman) — 初演の状況、ライヒャルトの記録、終結部。
[10] クリーヴランド管弦楽団:作品解説 — 初演、作曲の経緯、第二次世界大戦中の受容。
図解はオリジナルです。イメージ画像は創作。資料画像の作者・年代・利用条件は各キャプションに記載しています。


