夜道に響く、魔王の最初の誘い

「かわいい子、おいで。一緒に行こう」。ピアノが夜道を駆ける足音を刻むなか、魔王が口を開くと、響きがふっと明るくなります。
シューベルトは、なぜ子どもをおびえさせる魔王に、これほどやさしい旋律を与えたのでしょうか。
読みたいところへ
1分でわかる内容 / 歌詞と対訳・単語 / 核心の一節 / 聴きどころ / 歌うためのヒント / 成立背景
音楽と映像で、作品の魅力をさらに深く。YouTube「クラシック音楽の事件簿」でもご紹介しています。
《魔王》の基本情報
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 原題 | Erlkönig(魔王) |
| 作曲 | フランツ・シューベルト(Franz Schubert、1797–1828) |
| 作詩 | ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ(Johann Wolfgang von Goethe、1749–1832) |
| 作品番号 | D 328、作品1 |
| 作曲・出版 | 第1稿は1815年。第4稿が1821年、ウィーンで初出版 |
| 編成・言語 | 独唱とピアノ、ドイツ語 |
| 原調・拍子 | ト短調、4分の4拍子。冒頭に Schnell(速く) |
| 演奏時間 | 約4分 |
| 参照楽譜 | ディアベリ社の再版(1835年頃、版番号766、バーデン州立図書館所蔵) |
作曲年と稿の区別は作品目録、出版年は初版記録によります。[1・2・3・6]
1分でわかる《魔王》のあらすじ
夜更け、父親が息子を腕に抱いて馬を走らせています。息子は魔王の姿を見たと言いますが、父親は霧だと答えます。魔王が一緒に遊ぼうと誘うと、息子はその声を父親に聞いてほしいと訴えます。父親は、枯れ葉を鳴らす風だと答えます。次に魔王が娘たちの歌や踊りを約束し、息子が娘たちを指し示すと、父親は灰色の柳だと説明します。
やがて魔王は、来る気がないなら力ずくで連れていくと告げます。息子が「つかまれた」と叫ぶと、父親は恐怖に駆られ、馬を急がせます。ようやく屋敷に着いたとき、子どもは父の腕の中で死んでいました。
ドイツ語歌詞と日本語対訳
ゲーテの詩は4行ずつ、全8節です。改行は詩のまとまりに合わせ、句読点と大文字・小文字は読みやすく整え、旧綴りの gethan、Noth、todt は残しています。話者名は対訳を追うための補足です。[3・4]
第1節|夜道を駆ける父と子
※この見出しは歌詞の内容を要約したもので、正式な曲名・節名ではありません。
| ドイツ語 | 日本語訳 |
|---|---|
| Wer reitet so spät durch Nacht und Wind? | 誰がこんな夜更けに、風の吹く夜道を馬で駆けていくのか。 |
| Es ist der Vater mit seinem Kind; | 父親だ。子どもを連れている。 |
| Er hat den Knaben wohl in dem Arm, | 少年をしっかり腕に抱き、 |
| Er fasst ihn sicher, er hält ihn warm. | 落ちないように支え、冷えないように抱きしめている。 |
冒頭の問いも、それに続く答えも、語り手の言葉です。語り手は、父が子どもを抱きとめ、体を冷やさないようにしているところから話を始めます。
第1節の単語と文法を開く
| 原文の語・辞書形 | 意味と、この歌詞での働き |
|---|---|
| Wer / wer | 誰が。疑問代名詞の主格で、reitet の主語。 |
| reitet / reiten | 馬に乗って進む。現在3人称単数。 |
| so spät / so + spät | こんなに遅く。so は程度を表し、spät は時刻が遅いこと。 |
| durch Nacht und Wind | 夜と風の中を通って。durch は4格を取る前置詞。Nacht は「夜」、und は「〜と」、Wind は「風」。 |
| Es ist / es + sein | 「それは〜だ」。Es は直前の問いに対し人物を特定する表現の一部。ist は現在3人称単数。 |
| der Vater | 父親。der はここでは男性単数1格の定冠詞。 |
| mit seinem Kind / mit + sein + Kind | 自分の子どもを連れて。mit は3格を取り、seinem は父親を指す所有冠詞の中性単数3格。Kind は「子ども」。 |
| Er hat / er + haben | 彼は〜を抱えている。Er は父親。hat は現在3人称単数。 |
| den Knaben / der Knabe | 少年を。den は男性単数4格の定冠詞。Knabe は弱変化名詞で、ここでは語尾に -n が付く。 |
| wohl | ここでは抱き方を添える語。「しっかり」と訳した。 |
| in dem Arm / in + der Arm | 腕の中に。in は位置を示して3格を取り、dem は男性単数3格。Arm は「腕」。 |
| fasst ihn sicher / fassen + ihn + sicher | 彼を確かに支える。fasst は現在3人称単数。ihn は「彼を」で、少年を指す。sicher は「しっかり、安全に」。 |
| hält ihn warm / halten + warm | 彼を暖かく保つ。hält は現在3人称単数。warm は目的語 ihn の状態を表す。 |
第2節|魔王が見える子と、霧を見る父
※この見出しは歌詞の内容を要約したもので、正式な曲名・節名ではありません。
| ドイツ語 | 日本語訳 |
|---|---|
| Mein Sohn, was birgst du so bang dein Gesicht? | 【父】坊や、どうしてそんなにおびえて顔を隠すんだ。 |
| Siehst, Vater, du den Erlkönig nicht? | 【子】お父さん、魔王が見えないの? |
| Den Erlenkönig mit Kron’ und Schweif? | 【子】冠をかぶって、尾のある魔王が? |
| Mein Sohn, es ist ein Nebelstreif. | 【父】坊や、あれは、すじになってたなびく霧だよ。 |
歌詞の Erlkönig と Erlenkönig は、どちらも同じ魔王を指します。子どもの問いは、二行目で相手の名を、三行目で見えた姿を伝えます。
第2節の単語と文法を開く
| 原文の語・辞書形 | 意味と、この歌詞での働き |
|---|---|
| Mein Sohn / mein + der Sohn | わが息子よ。父の呼びかけ。mein は「私の」、Sohn は「息子」。 |
| was | ここでは「なぜ」。birgst の目的語は dein Gesicht。 |
| birgst du / bergen + du | 君は隠す。birgst は現在2人称単数。du は相手を指す主格。 |
| bang | 不安な、おびえた。so bang で「そんなにおびえて」。 |
| dein Gesicht / dein + das Gesicht | 君の顔。dein は「君の」。ここでは中性単数4格の目的語。 |
| Siehst, Vater, du … nicht? / sehen + nicht | 「お父さん、〜が見えないの?」。Vater は文中に挟まれた呼びかけ。siehst は現在2人称単数、nicht は否定。 |
| Erlkönig / Erlenkönig | 魔王。同じ人物の呼び名。Erlen は「ハンノキ」の複数形、König は「王」。二つ目の問いでは「見えないのか」が省略され、den から始まる目的語だけが続く。 |
| Kron’ / die Krone | 冠。語末の e を省いた形。 |
| Schweif / der Schweif | 尾、長く後ろに伸びるもの。Kron’ とともに mit に続く。 |
| ein Nebelstreif / Nebel + Streif | 一筋の霧。ein は男性単数1格の不定冠詞。Nebel は「霧」、Streif は「筋、帯」。 |
第3節|花と金色の衣
※この見出しは歌詞の内容を要約したもので、正式な曲名・節名ではありません。
| ドイツ語 | 日本語訳 |
|---|---|
| Du liebes Kind, komm, geh mit mir! | 【魔王】かわいい子、おいで。一緒に行こう! |
| Gar schöne Spiele spiel’ ich mit dir; | 【魔王】おまえと、とても楽しい遊びをしよう。 |
| Manch’ bunte Blumen sind an dem Strand; | 【魔王】水辺には色とりどりの花がたくさん咲いている。 |
| Meine Mutter hat manch gülden Gewand. | 【魔王】私の母は、金色の衣をいくつも持っているよ。 |
魔王は「私の母」と口にします。冠と尾を持つ見知らぬ相手が、ここでは子どもにもなじみのある家族の言葉で話しかけます。
第3節の単語と文法を開く
| 原文の語・辞書形 | 意味と、この歌詞での働き |
|---|---|
| Du liebes Kind / lieb + Kind | 「かわいい子よ」。du から呼びかけ、liebes は中性単数の Kind にかかる。 |
| komm, geh / kommen, gehen | 「来い」「行け」。どちらも親称単数の命令形。ここでは続けて「おいで、一緒に行こう」。 |
| mir / dir / ich / du | それぞれ「私に/君に」。mit mir は「私と」、mit dir は「君と」。mit が3格を取る。 |
| gar schöne Spiele / gar + schön + das Spiel | とても楽しい遊び。gar は強調、schöne は複数4格の形容詞。Spiele は spielen の目的語。 |
| spiel’ ich / spielen + ich | 私は遊ぶ。spiel’ は spiele の語末の e を省いた形。目的語が文頭に置かれ、動詞の後ろに主語 ich が来る。 |
| Manch’ / manch / manch | いくつもの。最初は複数の花、次は単数形の衣に付いて数の多さを表す。 |
| bunte Blumen / bunt + die Blume | 色とりどりの花々。複数1格で sind の主語。 |
| sind / sein | 〜がある、〜にある。現在3人称複数。 |
| an dem Strand / an + der Strand | 水辺に。Strand は岸辺にも使う。位置を表す an が3格を取る。 |
| Meine Mutter / mein + die Mutter | 私の母。meine は女性単数1格で、hat の主語。 |
| gülden Gewand / gülden + das Gewand | 金色の衣。gülden は今日の golden にあたる古風な語。この詩では語尾を付けずに使う。Gewand は「衣服」。 |
第4節|子どもには声、父には風
※この見出しは歌詞の内容を要約したもので、正式な曲名・節名ではありません。
| ドイツ語 | 日本語訳 |
|---|---|
| Mein Vater, mein Vater, und hörest du nicht, | 【子】お父さん、お父さん、聞こえないの? |
| Was Erlenkönig mir leise verspricht? | 【子】魔王がぼくにそっと約束していることが。 |
| Sei ruhig, bleibe ruhig, mein Kind; | 【父】落ち着いて、落ち着いて、坊や。 |
| In dürren Blättern säuselt der Wind. | 【父】枯れ葉の間を風がそよいでいるんだ。 |
子どもの leise(小声で)と、父の säuselt(そよぐ)には、どちらにもかすかな音が感じられます。子どもには言葉として届き、父には風の音に聞こえます。
第4節の単語と文法を開く
| 原文の語・辞書形 | 意味と、この歌詞での働き |
|---|---|
| Mein Vater | お父さん。mein は子どもから見た「私の」。ここでは呼びかけを繰り返す。 |
| und | 通常は「そして」。ここでは先行するやり取りを受け、訴えを切り出す。 |
| hörest / hören | 聞く、聞こえる。現在2人称単数の古風な形。現代語では hörst。 |
| was | 「何を〜するか」。hören の内容を表す間接疑問文を導き、その中では verspricht の目的語。第2節の「なぜ」とは用法が異なる。 |
| mir leise verspricht / leise + versprechen | 私にそっと約束する。Erlenkönig が主語、mir は約束の相手を示す3格。leise は「小声で」。verspricht は現在3人称単数で、従属節の末尾に置かれる。 |
| Sei / bleibe / sein / bleiben | 「〜でいなさい」「そのままでいなさい」。親称単数の命令形。 |
| ruhig | 静かな、落ち着いた。sei と bleibe の両方に続く。 |
| mein Kind | わが子よ。父から子への呼びかけ。 |
| in dürren Blättern / dürr + das Blatt | 枯れ葉の間で。in は位置の3格を取り、Blättern は Blatt の複数3格。dürren は「乾いた、枯れた」。 |
| säuselt der Wind / säuseln | 風がそよぐ。säuselt は現在3人称単数。場所の句が先に来るため、主語 der Wind は動詞の後ろに置かれる。 |
第5節|魔王の娘たちの歌と踊り
※この見出しは歌詞の内容を要約したもので、正式な曲名・節名ではありません。
| ドイツ語 | 日本語訳 |
|---|---|
| Willst, feiner Knabe, du mit mir gehn? | 【魔王】かわいい坊や、私と一緒に行かないか? |
| Meine Töchter sollen dich warten schön; | 【魔王】娘たちがおまえをよく世話してくれる。 |
| Meine Töchter führen den nächtlichen Reihn, | 【魔王】娘たちが夜の輪舞を先導して、 |
| Und wiegen und tanzen und singen dich ein, | 【魔王】揺すって、踊って、歌って、おまえを寝かしつける。 |
| Sie wiegen und tanzen und singen dich ein. | 【魔王】娘たちが揺すって、踊って、歌って、おまえを寝かしつけるよ。 |
ゲーテの詩ではこの節も4行です。参照譜では最後のくだりをもう一度歌い、Sie(娘たちが)で文を受け直します。
第5節の単語と文法を開く
| 原文の語・辞書形 | 意味と、この歌詞での働き |
|---|---|
| Willst … du … gehn? / wollen + gehen | 「行きたいか」「行かないか」。willst は現在2人称単数。gehn は gehen の短い形で、文末の不定詞。 |
| feiner Knabe / fein + Knabe | かわいい坊や、すてきな少年よ。文の途中に挟まれた呼びかけ。 |
| Meine Töchter / die Tochter | 私の娘たち。Töchter は複数形。meine は複数1格で、sollen や führen の主語を作る。 |
| sollen / sollen | 〜することになっている。現在3人称複数。ここでは魔王がそうさせるという約束。 |
| dich warten schön / du + warten + schön | おまえをよく世話する。dich は「君を」という4格。warten はここでは古い「世話をする」の意味。schön は世話の仕方を表す。 |
| führen / führen | 先導する、導く。現在3人称複数。 |
| den nächtlichen Reihn / nächtlich + der Reih(en) | 夜の輪舞を。den と -en は男性単数4格。Reihn は踊りの列や輪舞を指す古い語の短い形。 |
| wiegen / tanzen / singen | 揺する/踊る/歌う。いずれも娘たちが主語の現在3人称複数。 |
| dich ein / einsingen | 歌っておまえを寝つかせる。ein は分離した前つづり。この詩では「揺する・踊る・歌う」という動作の列が、寝かしつける場面につながる。 |
| Sie / sie | 彼女たち。直前の Töchter を受ける複数1格。 |
第6節|暗がりに見えた娘たち
※この見出しは歌詞の内容を要約したもので、正式な曲名・節名ではありません。
| ドイツ語 | 日本語訳 |
|---|---|
| Mein Vater, mein Vater, und siehst du nicht dort | 【子】お父さん、お父さん、あそこに見えないの? |
| Erlkönigs Töchter am düstern Ort? | 【子】暗がりにいる魔王の娘たちが。 |
| Mein Sohn, mein Sohn, ich seh’ es genau; | 【父】坊や、坊や、よく見えているよ。 |
| Es scheinen die alten Weiden so grau. | 【父】古い柳の木が、あんなに灰色に見えるんだ。 |
父の「よく見えている」という返事だけを読むと、子どもと同じものを見たようにも聞こえます。何が見えたかは、次の行の「柳」で分かります。
第6節の単語と文法を開く
| 原文の語・辞書形 | 意味と、この歌詞での働き |
|---|---|
| siehst du nicht dort | あそこに見えないのか。dort は「あそこに」。sehen の目的語は次の行に続く。 |
| Erlkönigs Töchter | 魔王の娘たち。Erlkönigs の -s は所有を表す2格の語尾。Töchter はここでは複数4格。 |
| am düstern Ort / an dem + düster + der Ort | 暗い場所に。am は an dem の縮約。düstern は düsteren の縮まった形。Ort は「場所」。 |
| ich seh’ es genau / sehen + es + genau | 私にはそれがはっきり見える。seh’ は sehe の語末の e を省いた形。es は子が指したものを受け、genau は「はっきりと」。 |
| Es scheinen / scheinen | 〜に見える。文頭の Es は語順を整える働き。scheinen が複数形なのは、後ろの die alten Weiden が主語だから。 |
| die alten Weiden / alt + die Weide | 古い柳の木々。die は複数1格の定冠詞。alten は「古い」、Weiden はここでは「柳」の複数形。 |
| so grau / so + grau | あんなに灰色に。grau は「灰色の」で、柳がどう見えるかを表す。 |
第7節|魔王が力ずくで迫る
※この見出しは歌詞の内容を要約したもので、正式な曲名・節名ではありません。
| ドイツ語 | 日本語訳 |
|---|---|
| Ich liebe dich, mich reizt deine schöne Gestalt; | 【魔王】おまえが好きだ。その美しい姿に心を引かれる。 |
| Und bist du nicht willig, so brauch’ ich Gewalt. | 【魔王】その気がないなら、力ずくで連れていく。 |
| Mein Vater, mein Vater, jetzt fasst er mich an! | 【子】お父さん、お父さん、いま、あいつがぼくをつかんだ! |
| Erlkönig hat mir ein Leids gethan! | 【子】魔王がぼくにひどいことをした! |
子どもの訴えは、姿や声から、自分がつかまれたという訴えに変わります。魔王が子どもに触れたと語るのは子ども自身です。最後に語り手が伝えるのは、屋敷に着いたときの子どもの状態です。
第7節の単語と文法を開く
| 原文の語・辞書形 | 意味と、この歌詞での働き |
|---|---|
| Ich liebe dich / lieben | 私はおまえを愛している。liebe は現在1人称単数。dich は4格の目的語。 |
| mich reizt / ich + reizen | 私を引きつける。mich は4格の「私を」。reizt の主語は後ろにある deine schöne Gestalt。 |
| deine schöne Gestalt / dein + schön + die Gestalt | おまえの美しい姿。女性単数1格。deine は所有、schöne は「美しい」、Gestalt は「姿、外形」。 |
| bist du nicht willig / sein + willig | 君にその気がないなら。bist は現在2人称単数。動詞を先頭に置くことで、wenn du nicht willig bist と同じ条件を表す。willig は「その気がある、応じる気がある」。 |
| so brauch’ ich Gewalt / so + brauchen + die Gewalt | そのときは力を使う。so は条件を受ける「そうなら」。brauch’ は brauche の短い形で、ここでは「使う」。Gewalt は「強制力、暴力」。 |
| jetzt fasst er mich an / jetzt + anfassen | いま、あいつがぼくをつかむ。jetzt は「いま」、er は魔王。anfassen は分離動詞で、an が文末に来る。 |
| hat mir ein Leids gethan / haben + das Leid + tun | 私に危害を加えた。hat と過去分詞 gethan(現代綴り getan)で現在完了。mir は被害を受けた相手。「ひどいことをする」という古い言い回しに残る Leids は「苦しみ、害」を表す。 |
第8節|父の腕の中で
※この見出しは歌詞の内容を要約したもので、正式な曲名・節名ではありません。
| ドイツ語 | 日本語訳 |
|---|---|
| Dem Vater grauset’s, er reitet geschwind, | 父はぞっとして、馬を急がせる。 |
| Er hält in Armen das ächzende Kind, | うめく子どもを両腕に抱き、 |
| Erreicht den Hof mit Müh’ und Noth: | やっとのことで屋敷にたどり着く。 |
| In seinen Armen das Kind war todt. | その腕の中で、子どもは死んでいた。 |
冒頭で子どもを暖めていた「父の腕」が、最後の行にも出てきます。語り手は到着までを現在形で運び、最後の war todt(死んでいた)で過去形に切り替えます。
第8節の単語と文法を開く
| 原文の語・辞書形 | 意味と、この歌詞での働き |
|---|---|
| Dem Vater grauset’s / grausen + es | 父はぞっとする。Dem Vater は恐怖を感じる人を示す3格。grauset’s は grauset es の縮約で、現代なら dem Vater graust es。 |
| er reitet geschwind / reiten + geschwind | 彼は馬を急がせる。geschwind は「すばやく」。er は父親。 |
| in Armen / der Arm | 両腕の中に。Armen は複数3格。 |
| das ächzende Kind / ächzen + Kind | うめいている子どもを。ächzende は「うめく」の現在分詞を形容詞として使った形。das Kind 全体が hält の目的語。 |
| Erreicht den Hof / erreichen + der Hof | 屋敷にたどり着く。erreicht は現在3人称単数で、前の行の主語 er が続く。Hof は屋敷や農家、その中庭などを指し、ここでは「屋敷」とした。 |
| mit Müh’ und Noth / die Mühe + die Not | 苦労し、難儀して。Müh’ は Mühe の短い形。Noth は Not(困難、苦境)の旧綴り。「やっとのことで」にあたる言い回し。 |
| in seinen Armen / sein + der Arm | 彼の両腕の中で。seinen は複数3格の所有冠詞で、父親を指す。 |
| das Kind war todt / sein + tot | 子どもは死んでいた。das Kind が主語。war は sein の過去形、todt は tot の旧綴り。現代の標準的な語順なら In seinen Armen war das Kind tot。 |
この曲の核心|「かわいい子、おいで」
Du liebes Kind, komm, geh mit mir!
かわいい子、おいで。一緒に行こう!
「かわいい子」と親しげに呼びかけたあと、魔王は komm(来い)、geh(行け)と続けます。どちらも命令形ですが、歌を聴くと遊びの誘いに聞こえます。
その声を支えるのが、ト短調の夜道から移り入る変ロ長調の響きです。楽譜では最初の誘いに入るところで、ピアノに ppp(ごく弱く)の指示があります。ピアノの刻みには小さな休符が入り、響きが軽くなります。細かな脈が残るので、夜道を進む気配の上に、子どもだけに届くような声が浮かびます。[3]
三度目に魔王が「おまえが好きだ」と歌うところでも、ピアノはいったん音を落とします。続く言葉は「その気がないなら、力ずくで」。最初の二度は何をしてくれるかを語った魔王が、ここで初めて、子どもが応じなかった場合に何をするかを言い渡します。[3]
《魔王》の聴きどころ

1. 歌が始まる前に、ピアノが走り出す
前奏は右手のオクターヴの連打で始まります。1拍を三つに割る三連符が馬の足取りを思わせ、次の小節から左手の低音が駆け上がります。歌が入る前から、馬がどれほどの勢いで走っているかが耳に伝わります。[3]
2. 三度の「お父さん」が高くなる
第4・6・7節の Mein Vater, mein Vater を比べると、呼びかけが出る音の位置が段階的に上がります。同じ呼びかけが高くなっていくことで、父に何とか気づいてほしいという切迫感が強まります。第5節で魔王が娘たちを持ち出すと、右手には分散和音が流れます。その軽い動きから第6節の打ちつけるような連打へ戻るところを聴くと、魔王の約束と子どもの切迫感の差がよく聞こえます。[3]
3. 屋敷に着いて、足音がやむ
父が馬を急がせるくだりに、参照譜では accelerando(次第に速く)の指示があります。屋敷に着くと三連符の連打が途切れ、最後の一行は Recit.(語るように)に変わります。「子どもは」のあとに間が置かれ、「死んでいた」と告げる声に、ピアノの終止和音が続きます。[3]
歌うためのヒント|四役を、相手と目的で分ける
一人の歌手が、語り手・父・子・魔王を受け持ちます。まず歌詞だけを読み、役が替わるところで、声を届けたい相手と、相手に何をしてほしいのかを決めてみてください。
| 役 | 練習で試したいこと |
|---|---|
| 語り手 | 冒頭の Wer では誰が通るのかを尋ね、次の der Vater で答えを示す。終盤に戻ってきたときは、直前の子どもの叫びと区別し、起きたことを一つずつ伝える。 |
| 父 | Nebelstreif、Wind、Weiden を言葉の目印にする。子を安心させる一息の中で、父が何を見聞きしたかが伝わるように読む。 |
| 子 | 呼びかけから、そのあとに続く訴えまでを一組で練習する。歌うときは、声量を少し抑えたままでも、三度目の切迫感が伝わるか試す。 |
| 魔王 | 最初の Du liebes Kind は声をかけ、komm, geh mit mir で誘いかける。第7節では willig と Gewalt の対を意識し、条件と脅しが一息で伝わるよう言葉を組む。 |
ドイツ語の子音は、伴奏と合わせながら明瞭さを確認しましょう。その他にも、たとえば Nacht の ch と末尾の t、Wind の語末の d(発音は[t])など、子音を一度話し言葉で確かめてから歌って、どこで母音を保ち、どこで語を閉じるか決めるといいでしょう。最後の war todt では、終止和音との間合いをピアニストと合わせ、子音の終わりまで聴き合ってください。
成立背景|ゲーテの劇中歌から、シューベルトの作品1へ

ゲーテの《魔王》は、1782年に上演されたジングシュピール《漁師の娘(Die Fischerin)》の冒頭にさかのぼります。ドルトヒェンが劇中で歌うバラードで、この舞台にはコローナ・シュレーターが曲を付けました。[4・5]
シューベルトは1815年、18歳で最初の稿を書きました。翌年には《魔王》を含むゲーテの詩による歌曲16曲の楽譜が、ゲーテ本人に送られています。このときの《魔王》は第2稿で、右手の連打では1拍を二つに分けます。出版稿で聞こえる三連符とは、足取りの響きが違います。ゲーテに送られた楽譜は、現在ベルリン国立図書館に残っています。[1・7・8]
1821年3月7日、ウィーンのケルントナートーア劇場で、バリトンのヨハン・ミヒャエル・フォーグルが《魔王》を歌い、アンゼルム・ヒュッテンブレンナーが伴奏しました。伴奏者の回想によれば、聴衆の求めで曲をもう一度演奏したといいます。同年、第4稿がカッピとディアベリから刊行され、表紙に 1tes Werk(作品1) と記されました。献呈先はモーリッツ・フォン・ディートリヒシュタイン伯爵です。[1・2・8]
もう一度聴くなら、最初の誘いと最後の脅しを
最初の komm, geh mit mir と、最後の so brauch’ ich Gewalt を聴き比べてみてください。二度目までの誘いを覚えておくと、三度目の「おまえが好きだ」の時点で、歌手がどこまで同じ声色を保つかにも耳が向きます。
出典
- Schubert-digitalの作品目録。作品番号、編成、四つの稿と成立時期。 Erlkönig
- オーストリア国立図書館所蔵初版の目録。出版地、年、献辞。 Schubert-digitalの初版記録
- バーデン州立図書館所蔵の歌唱譜、印刷頁2–11。ドイツ語の歌詞、反復、調・拍子、伴奏・強弱・速度の指示。 ディアベリ再版のデジタル資料
- ゲーテの詩本文と初出情報。 ゲッティンゲン大学図書館 TextGrid Repository / ゲーテ作品集所収の詩
- ジングシュピールの上演年と作曲者。 クラシック財団ヴァイマール《Die Fischerin》
- フィッシャー=ディースカウとムーアの演奏時間。 Warner Classics盤の収録情報
- ゲーテに送られた歌曲集と自筆譜。 ベルリン国立図書館のシューベルト資料 / Schubert-digitalの第2稿記録
- 第2稿の伴奏、1821年3月7日の演奏会、伴奏者の回想。 オーストリア科学アカデミー刊の研究論集、Louis De NilおよびSusan Youensの章

