ベートーヴェン《エグモント》序曲を解説|悲劇はなぜ「勝利の音楽」で終わるのか

暗い舞台へ金色の光が差し込む創作イメージ
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重々しい響きで始まった音楽が、激しい動きを経て、まばゆいほど明るい結末へ向かいます。ベートーヴェンの《エグモント》序曲は、約9分のうちに、息を詰めるような緊張と大きな解放感を味わえる作品です。

ところが、この曲のもとになった戯曲では、主人公は救出されません。恋人も命を落とし、彼自身も処刑へと向かいます。それなのに、なぜ最後は勝利を告げる音楽になるのでしょうか。

物語の結末を手がかりに、重い冒頭から最後の歓喜へ至る音楽をたどってみましょう。

1分でわかる《エグモント》序曲

《エグモント》序曲は、ベートーヴェンが1809年から1810年にかけて、ゲーテの戯曲《エグモント》のために書いた劇付随音楽の冒頭曲です。原作の舞台は、スペインの支配下にあった16世紀のネーデルラント。民衆に慕われるエグモント伯爵は権力者に捕らえられ、死を迎えますが、劇は自由への希望を示す「勝利のシンフォニー」で閉じられます。序曲もこの流れを凝縮し、重い序奏から切迫した速い音楽へ進み、深い静けさを経て、輝かしいヘ長調の結尾に至ります。

《エグモント》序曲の基本情報

項目内容
作曲者ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン
作品名《エグモント》序曲
原題Egmont, Ouvertüre
作品番号Op.84に含まれる序曲
ジャンル劇付随音楽の序曲
原作ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテの戯曲《エグモント》
作曲1809〜1810年
音楽付き上演の初演1810年6月15日、ウィーンのブルク劇場
調性ヘ短調。結尾はヘ長調
構成緩やかな序奏、ソナタ形式を基礎とする主部、急速な結尾
主な編成フルート2とピッコロ、オーボエ2、クラリネット2、ファゴット2、ホルン4、トランペット2、ティンパニ、弦楽器。ピッコロはフルート奏者が持ち替える場合もあります
演奏時間約9〜10分。

この記事で扱うのは、演奏会で単独演奏される管弦楽の序曲です。劇付随音楽の全曲には、歌や語りを伴う部分も含まれます。

ゲーテの《エグモント》は、どんな物語なのか

紙を手に座るゲーテの肖像
ヨーゼフ・カール・シュティーラーによるゲーテ像(1828年)。 出典:Wikimedia Commons/Public domain

民衆の人気を集める伯爵と、迫る弾圧

物語の舞台となるネーデルラントは、現在のオランダやベルギーなどにまたがる地域です。16世紀、この地ではスペイン王権への不満が高まり、政治と宗教をめぐる対立が深まっていました。

エグモント伯爵は、民衆に親しまれる人物として登場します。友人のオラニエ公は迫る危険を警告しますが、エグモントは自分の地位や人々からの信頼を頼みに、その地にとどまります。スペイン側から派遣されたアルバ公は反対勢力への弾圧を進め、エグモントも捕らえられてしまいます。

ゲーテの戯曲は実在の伯爵をもとにしています。ただし、歴史上の人物の生涯をそのまま再現したものではありません。恋人クレールヒェンとの関係など、劇として作り変えられた部分があります。

白い襟をつけたエグモント伯爵の肖像
フランス・プルビュス(父)によるエグモント伯爵像(1579年)。 出典:Wikimedia Commons/Public domain

救出に失敗した恋人と、牢獄に現れる自由の姿

クレールヒェンは、捕らえられたエグモントを助けようと民衆に行動を呼びかけます。けれども、人々を動かすことはできません。絶望した彼女は毒を飲み、命を絶ちます。

死を待つエグモントは、牢獄で眠りにつきます。その夢に現れるのが、クレールヒェンの面影を持つ「自由」の姿です。彼女は、彼の死がこの地の自由につながることを示し、勝者をたたえる月桂冠を差し出します。

目覚めたエグモントは、人々に勇気を呼びかけ、処刑へと向かいます。幕が下りると、音楽が劇を締めくくる。ゲーテはその音楽を「勝利のシンフォニー」と指定しました。

劇は、民衆が蜂起して勝つ場面までは描きません。エグモントが思い描いた自由の未来を、幕が下りたあとの音楽に託して終わるのです。

1809年のウィーンで、ベートーヴェンがこの劇に向き合った理由

リラ型ギターを手にしたベートーヴェンの肖像
ヨーゼフ・ヴィリブロルト・メーラーによるベートーヴェン像(1804〜1805年)。 出典:Wikimedia Commons/Public domain

《エグモント》の音楽を依頼したのは、ゲーテ本人ではなく、ウィーンの宮廷劇場側でした。1809年秋、劇場の責任者ヨーゼフ・ハルトルが、新しい上演のためにベートーヴェンへ作曲を求めます。

ベートーヴェンは以前からゲーテの詩に親しみ、歌曲も書いていました。序曲に加え、クレールヒェンの2曲の歌、4曲の幕間音楽、彼女の死を示す音楽、語りと管弦楽が重なるメロドラマ、最後の「勝利のシンフォニー」。全体では10曲からなります。こうした劇付随音楽は、俳優が演じる芝居のなかで、歌や場面の伴奏、幕間などに使われます。

クレールヒェンの歌「太鼓を打て」の自筆スケッチ
《エグモント》のクレールヒェンの歌「太鼓を打て」の自筆スケッチ(1809〜1810年、英国図書館)。 出典:Wikimedia Commons/Public domain

作曲時期のウィーンは、ナポレオンの軍による1809年の侵攻と占領を経験していました。外国の支配と自由への願いを扱う物語は、作曲者にとって切実な時代の問題とも重なります。ベートーヴェン・ハウスも、エグモントの自由への闘いと、当時のベートーヴェン自身の経験や希望とのつながりを指摘しています。

音楽がそろったのは、4回目の上演

1810年5月24日、ウィーンで《エグモント》の新しい舞台が始まりました。ところが、ベートーヴェンの音楽は、その初日に全体がそろいませんでした。序曲を含む音楽がそろって演奏されたのは、4回目の上演に当たる6月15日です。基本情報に記した初演日は、この6月15日を指します。

ミヒャエル広場の旧ブルク劇場を描いた水彩
フェルディナント・ヴェックブロート《旧ブルク劇場》(1910年以前)。初演当日の記録ではありません。 出典:Wikimedia Commons/Public domain

重い序奏から勝利へ――音楽の流れをたどる

序奏、速い主部、終盤の断絶、ヘ長調の結尾という四段階の流れ
区分名はこの記事の鑑賞案内です。

1.緩やかな序奏――重い弦と、応える木管

冒頭では、オーケストラが強く音をそろえ、そのあとに弦楽器の重々しいリズムが続きます。「ソステヌート・マ・ノン・トロッポ」と記された、ゆったりとした序奏です。

このリズムは、スペインと結びつけられてきた舞曲サラバンドを思わせるものとして、しばしば解説されます。原作の背景を踏まえ、支配の圧力を表す響きとして聴くことができます。

その重さに応えるのは、木管楽器の柔らかく、訴えかけるような旋律です。弦が刻む硬いリズムと、木管の息の長い歌い方。同じ遅い音楽のなかに、押しつける力と、それに応答する声のような対照が生まれます。

木管の旋律をクレールヒェンに結びつける解説もありますが、人物との対応は鑑賞上の解釈です。まずは音の硬さと柔らかさの違いを聴けば、二つの性格を自然に捉えられます。

2.速い主部――走り出す音楽に、序奏の重さが戻ってくる

やがてチェロから動きのある主題が現れ、アレグロの主部に入ります。拍子は序奏の2分の3拍子から4分の3拍子へ。大きく踏みしめるようだった時間が、切迫した歩みに変わります。

短い音型が繰り返され、弦楽器の流れに管楽器の強い響きやティンパニの打撃が重なります。他の楽器を巻き込みながら、音楽はしだいに切迫していきます。

耳を向けたいのは、途中で序奏を思わせる重いリズムが戻るところです。速い部分が始まったからといって、最初の圧迫感が消えたわけではありません。柔らかい木管の応答も再び聴こえ、冒頭で示された二つの性格が、いっそう近い距離でぶつかり合います。

主部の骨組みにはソナタ形式が使われています。異なる性格の主題を示し、その材料を変化させる展開部を経て、主題を呼び戻す構成です。中ほどには木管が柔らかく語り交わす場面もありますが、強い合奏が再び緊張をもたらします。穏やかな旋律に移っても安心しきれないところに、この主部の落ち着かなさがあります。

1847年に刊行された《エグモント》序曲のピアノ編曲譜の一頁
《エグモント》序曲のピアノ編曲譜(1847年、パリ、Schonenberger刊/フランス国立図書館)。 出典:Wikimedia Commons/Public domain

3.終盤の断絶――音がなくなる瞬間を聴く

激しさが高まったところで、ヴァイオリンの鋭い身ぶりを経て、音楽が突然途切れます。続いて管楽器の静かな和音が響き、それまでの運動はいったん止められます。

この断絶は、主人公の死に結びつけて解釈されてきました。音楽が途切れたことで、前へ進もうとしていた力まで奪われたように感じられます。管楽器の和音はその空白に残り、すぐには次の展開を明かしません。

演奏によっても、この場面の印象は変わります。音を切ったあとの間、管楽器の和音の柔らかさ、その先へ進む呼吸。結尾の華やかさを聴き比べる前に、この静かな部分を比べてみるのも面白い聴き方です。

4.急速な結尾――弦の動きが、全合奏の歓喜へ育つ

静けさのあと、弦楽器の細かな動きが現れ、急速に力を増していきます。ここからは「アレグロ・コン・ブリオ」。生き生きと、活気を持って進む音楽です。

調性は、暗く緊張したヘ短調から、明るいヘ長調へ変わります。ホルンとトランペットの晴れやかな響き、ティンパニの力強い打撃、上方に輝きを添えるピッコロが重なり、音の広がりも一気に変わります。

ここでは調性とともに、速さ、音の密度、楽器の色も変わります。とりわけ高いピッコロの響きは、重い中低音が印象に残る冒頭から遠く離れたことを感じさせます。音楽は勢いを保ち、明確な終止を力強く重ねて閉じられます。

序曲の結尾は、劇の最後にもう一度現れる

序曲の結尾の音楽が、劇の最後の勝利のシンフォニーで再び使われる関係
序曲の結尾は、劇の最後の「勝利のシンフォニー」で再び用いられます。

序曲の明るい結尾は、劇の最後の「勝利のシンフォニー」で再び用いられます。劇が始まる前には予告として聴こえたものが、終幕ではエグモントの最期の呼びかけを受けて響くのです。

ゲーテは最初から、歌や伴奏音楽を劇の一部として構想していました。ベートーヴェンが手を入れた筆写総譜にも、俳優がどこから音楽に重ねて話すか、幕がいつ開閉するかといった指示が記されています。舞台と言葉と音の接点まで、細かく考えられていたことが分かります。

楽譜は、IMSLPの《エグモント》作品ページへ。版ごとの利用条件は掲載先でご確認ください。

ゲーテへ届けた楽譜と、原作者の評価

上演後も、作曲者は楽譜の出版に注意を払い続けます。1811年には、序曲のピアノ編曲譜で1小節が抜けていると出版社に抗議しました。ゲーテに楽譜を届けることにも熱心で、送付を繰り返し求めています。

1811年4月12日には、ゲーテ本人へ手紙を書き、《エグモント》を読んで心に受けたものを音楽にしたことを伝え、作品への意見を求めました。ゲーテが総譜の筆写譜を受け取ったのは1812年1月。二人が初めて直接会ったのは、その年の7月です。作曲当時から顔を合わせて相談していたわけではなく、この音楽は、先に読者として戯曲と出会ったベートーヴェンから、作者へ届けられたものでした。

原作者は、この音楽をどう受け止めたのでしょうか。フリードリヒ・フェルスターが伝えた1821年の談話によれば、ゲーテは、ベートーヴェンが見事な才能で自分の意図をくみ取ったと高く評価しています。

参考資料

作曲家と名曲の物語を、
YouTubeでも解説しています。
クラシック音楽の事件簿 — YouTubeで見る
作品解説
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