
ティンパニが、同じ音を力強く刻み続けます。その上で弦楽器は上へ、木管楽器は下へ。逆方向へ進む音の線が、始まったばかりの音楽を張り詰めさせます。
ブラームスの《交響曲第1番》は、こうした厳しい響きから出発し、最後にはハ長調の明るい合奏へたどり着く作品です。その途中には、独奏ヴァイオリンの繊細な歌も、クラリネットの軽やかな旋律もあります。終楽章の力強さは、それまでの音楽を通して聴くことで、いっそう鮮やかに感じられるでしょう。
完成したとき、ブラームスは43歳でした。なぜ、最初の交響曲にこれほど長い時間が必要だったのでしょうか。誕生の背景と、四つの楽章の流れをたどります。
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1分でわかる、ブラームス《交響曲第1番》
ブラームスの《交響曲第1番》は、1876年に初演されたハ短調の交響曲です。全4楽章、演奏時間は約45〜50分。第1楽章では、ティンパニの打音に支えられた重々しい序奏から、激しく動く音楽へ進みます。第2楽章はオーボエや独奏ヴァイオリンの歌、第3楽章はクラリネットを中心とした穏やかな響きが魅力。そして第4楽章では、暗い序奏を抜けてホルンの呼び声が響き、弦楽器が堂々とした主題を歌い始めます。ベートーヴェンの後に交響曲を書く重圧を抱えながら、長い年月をかけて完成させた作品です。
基本情報
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 作品名 | 交響曲第1番 ハ短調 作品68 |
| 作曲者 | ヨハネス・ブラームス(1833〜1897) |
| 原題 | Symphonie Nr. 1 c-Moll, op. 68 |
| 成立 | 1862年には第1楽章の初期稿が存在。1876年完成、1877年に改訂 |
| 初演 | 1876年11月4日、カールスルーエ、ムゼウムの大ホール |
| 初演指揮 | オットー・デッソフ |
| 初版出版 | 1877年10月、ジムロック社 |
| 構成 | 全4楽章 |
| 編成 | フルート、オーボエ、クラリネット、ファゴット各2、コントラファゴット、ホルン4、トランペット2、トロンボーン3、ティンパニ、弦楽合奏 |
| 演奏時間 | 約45〜50分 |
| この記事の対象 | 1877年の改訂を経た、通常演奏される管弦楽版全曲 |

最初の交響曲が、43歳になるまで生まれなかった理由
シューマンに期待された20歳の青年

1853年、20歳のブラームスはロベルト・シューマンと出会います。シューマンは評論「新しい道」で、その若者の才能を広く紹介しました。ピアノ・ソナタの中に、姿を隠した交響曲のような大きさを感じ取り、合唱やオーケストラへ進んだときの可能性にも期待を寄せています。[1]

ブラームス自身も、早い時期から交響曲へ挑んでいました。1850年代には、ピアノ二台のためのソナタの素材を交響曲に仕立てようとしますが、管弦楽の扱いに満足できず、作業を中断。その第1楽章は、やがて《ピアノ協奏曲第1番》へと作り替えられました。[7]

その後、二つのセレナードや《ドイツ・レクイエム》、1873年の《ハイドンの主題による変奏曲》などを発表します。交響曲第1番の完成を待つ間にも、作曲家としての仕事は着実に積み重なっていました。
背後を歩く、ベートーヴェンという巨人
交響曲には、ほかのジャンルとは違う重圧がありました。ベートーヴェンが残した九つの交響曲、とりわけ独唱と合唱まで加えた第9番の後で、何を新しく書けばよいのか。当時は、交響曲という形式の将来そのものを疑う考えもありました。[1]
ブラームスは指揮者ヘルマン・レーヴィに、ベートーヴェンのような巨人がいつも背後を歩いてくると、交響曲を書こうとする者がどんな気持ちになるか、という趣旨の言葉を漏らしたと伝えられます。[7]
この作品は「完成まで約20年」と紹介されますが、その数字には、1850年代からの交響曲への模索も含まれています。第1番について確実な手がかりとなるのは、1862年、クララ・シューマンらへ示した第1楽章です。当時は、今日の演奏で耳にするゆっくりした序奏が付いていませんでした。そこから完成まで、さらに14年を要しています。[1]
構想や中断、別の作品での経験を重ねた末に、1876年の第1番が生まれました。
クララへ送った、短い音楽の挨拶
その長い成立の途中に、一つの親密な記録が残っています。1868年9月12日、ブラームスは、翌日に誕生日を迎えるクララへ、スイスから短い旋律を送りました。
音符に添えられていたのは、高い山から深い谷へ、何千回も挨拶を送る、という意味の言葉。その旋律は、のちに終楽章で響くホルン主題の前身でした。[7]
一般に「アルプホルンの主題」と呼ばれますが、交響曲で演奏するのは通常のオーケストラのホルンです。[1]

クララはピアニストとして活動しながら、長年ブラームスの新作に接してきました。この挨拶に由来する旋律が、交響曲では暗い序奏を明るい響きへ変える場所に置かれています。全曲に物語を説明する標題はありませんが、クララとの関係を知ることは、鑑賞の一つの手がかりになるでしょう。
四つの楽章をたどる――厳しい合奏と、親密な歌

両端の第1・第4楽章は規模が大きく、その間に比較的短い第2・第3楽章が置かれています。以下の副題は、聴く目印を示すためのもので、ブラームス自身が付けた標題ではありません。
第1楽章|動かない低音の上で、音がぶつかり合う
Un poco sostenuto — Allegro/ハ短調
ティンパニは低い「ド」を刻み、その上で弦楽器が半音ずつ上がり、木管楽器は下がっていきます。半音とは、ピアノの隣り合う鍵盤同士の音の隔たりです。低い音が同じ場所にとどまるため、上で動く音同士の摩擦が強く感じられます。[3]
合奏の勢いが引くと、オーボエの歌が現れます。音量は小さくなっても、響きにはまだ落ち着かなさが残ります。
速い主部に入ると、弦楽器の切迫した動きが音楽を押し進めます。ここでは、序奏の半音の動きや刻むリズムが、短い音型として働きます。最初のゆっくりした音楽と、その後の激しい音楽は、共通する素材で結ばれています。[2][4]
やがて木管やホルンの柔らかな歌も聞こえます。中ほどでは、すでに登場した音型が短く切り分けられ、別の高さや楽器で重なりながら、再び大きな高まりへ。最初の主題が戻ると、長い動きの中に一つの帰着点が生まれます。これは、主題を紹介し、発展させ、戻す「ソナタ形式」の大きな流れです。
終わり近くでは速度が落ち着き、ハ長調の響きが現れます。冒頭の激しさを押し通すのではなく、音量と動きを抑えて閉じるところも、この楽章の特徴です。[3]
第2楽章|合奏の中から、一人のヴァイオリンが浮かび上がる
Andante sostenuto/ホ長調
弦楽器の穏やかな旋律で始まり、オーボエが表情豊かに歌います。第1楽章の密な動きに比べ、旋律の息の長さをゆっくり味わえる音楽です。
中ほどでは弦の細かな動きが増し、響きが熱を帯びます。穏やかな歌にも強い感情が差し込みますが、やがて冒頭の音楽が戻ってきます。[3]
終盤で耳を引くのは、独奏ヴァイオリン。ヴァイオリン全員の響きから、一人の奏者の音が浮かび上がり、オーボエやホルンと歌を交わします。オーケストラの大きさより、少人数で奏でる室内楽のような親密さを感じられる場面です。[2][4]
同じ旋律の受け渡しでも、木管には息の区切りがあり、弦には弓で音をつなぐ滑らかさがあります。終わりへ向かう数分は、その歌い方の違いに耳を向けてみてください。
第3楽章|クラリネットと、弦の小さな足取り
Un poco Allegretto e grazioso/変イ長調
クラリネットの丸みのある旋律に、弦を指ではじく短い音が添えられます。弦のこの奏法が「ピッツィカート」です。長く伸びる管楽器の音と、軽く響いて消える弦の音が組み合わさり、柔らかな動きを作ります。[5]
ベートーヴェンの交響曲に多い、激しいスケルツォとは違う性格です。「優美に」を意味する grazioso の指示どおり、冒頭は穏やかな足取りで進みます。
中間部では、2拍子から8分の6拍子へ変わります。大きく二つに数える拍のそれぞれが、さらに三つに分かれる弾みが目印です。管楽器と弦楽器の応答にも活気が増し、前半より力強い合奏へ広がります。[3]
後半では冒頭の旋律が戻りますが、伴奏や続き方には変化が加えられています。短い楽章なので、旋律の二度の登場を聴き比べやすいところです。
第4楽章|ホルン、コラール、そして大きな弦の歌
Adagio — Più Andante — Allegro non troppo, ma con brio/ハ短調からハ長調へ
第4楽章は、暗い低音とヴァイオリンの短い句で始まります。はじく弦の音、細かく震える音が緊張を高め、合奏は激しく膨れ上がります。第3楽章までの穏やかな時間が終わり、再び大きな緊張に向き合う入口です。
その高まりを抜けると、ホルンが伸びやかな旋律を吹きます。クララへの挨拶に前身が残る「アルプホルンの主題」です。ハ長調の響きの中で、フルートも旋律を受け取り、それまで細かく動いていた音楽に長い歌が現れます。[3]
続いて、トロンボーンやファゴットが静かで厳かな和音を奏でます。賛美歌の合唱を思わせる、この短い音楽が「コラール」です。トロンボーンは全曲のここまで演奏せず、第4楽章で初めて加わります。[4]
そして主部へ入り、弦楽器が幅広い旋律を歌い始めます。ベートーヴェン《第9》の〈歓喜の歌〉との類似を指摘されるのは、この主題です。直前のホルンの旋律とは別のものなので、ホルンの呼び声、静かなコラール、弦の大きな歌という順番で覚えると、入口の流れがわかりやすくなります。[2][4]

明るい主題が登場しても、音楽はすぐには終結へ向かいません。弦の動きが細かくなり、下降する音型や短いリズムが楽器を渡って、勢いを増していきます。途中でホルンの呼び声が戻る場面もあり、長い楽章の中で、すでに聞いた音楽との再会を味わえます。
終結へ向けて速度が上がると、序奏で静かに奏でられたコラールが、今度は強大な合奏で現れます。厚い金管の響きに弦も重なり、全曲は力強いハ長調で閉じられます。[3][4]
まず聴きたい、三つの場面

| 場所 | 聴く目印 | 注目すること |
|---|---|---|
| 第1楽章の冒頭 | ティンパニの連打 | 同じ低音と、逆方向へ動く音の線 |
| 第2楽章の終盤 | 独奏ヴァイオリンの登場 | 合奏から一人の歌へ変わる音色 |
| 第4楽章の終結近く | 速度が上がった後の力強い和音 | 序奏の静かなコラールが、大きな合奏で戻る変化 |
「ベートーヴェンの第10番」と呼ばれた音楽

〈歓喜の歌〉との類似に、ブラームスはどう答えたか
指揮者ハンス・フォン・ビューローは、この作品を「ベートーヴェンの第10番」と呼んだことで知られます。ベートーヴェンを引き合いに出し、作品を高く評価した呼び方です。[6]
共通点は、終楽章の主題だけではありません。ハ短調で始まり、ハ長調で終わる全体の進み方や、終楽章までトロンボーンを温存する配置には、ベートーヴェン《第5》とのつながりも感じられます。[4]
〈歓喜の歌〉との似通いを指摘されたブラームスは、そんなことは愚か者でもすぐにわかる、という趣旨で答えたと伝えられます。[7]
ただし、《第9》では独唱者と合唱が言葉を歌うのに対し、ブラームスの第1番には声楽が入りません。ホルン、弦楽器、金管の和音へと役割を受け渡しながら、器楽だけで終楽章を築いています。
新しい旋律を増やすより、すでにある音を変えていく
この曲をもう一歩深く聴くなら、旋律同士のつながりも面白いところです。たとえば、終楽章冒頭のヴァイオリンの短い句には、のちに大きく歌われる主題との関係があります。主部で突然生まれたように聞こえる旋律も、序奏の中にその姿が潜んでいます。[4]
第1楽章でも、ゆっくりした序奏と速い主部が共通の素材で結ばれていました。音の長さやリズム、担当する楽器を変えることで、同じ発想から違う表情を引き出す。それが、大きな作品を内側でつなぐブラームスの技法です。[2]
有名な旋律が耳になじんだ後で、その楽章の冒頭へ戻ると、序奏の短い断片にも聞き覚えが生まれるかもしれません。
初演の後も、完成形を探し続けた

友人のいる町で迎えた初演
1876年11月4日、カールスルーエで、友人オットー・デッソフの指揮により第1交響曲は初演されました。ブラームスは彼への手紙で、よい友人、よい指揮者、よいオーケストラのいる小さな町で、この作品を初めて聴きたいと考えていたことを伝えています。[7]

その後は自身もマンハイム、ミュンヘン、ウィーンなどで指揮しました。1877年1月のライプツィヒのリハーサルに立ち会ったクララは、ブラームスがオーケストラを鼓舞し、激しい流れを導いた後、再び落ち着かせる指揮ぶりを日記でたたえています。[7]
作品への反応には、評価と注文が入り交じっていました。レーヴィは終楽章を高く評価しながら、中間の二楽章には違和感を持ち、友人の医師ビルロートも、終楽章に圧倒される一方で、第1楽章には厳しさを感じています。[4]
第2楽章の改訂と、翌年の第2交響曲
初演が済んでも、ブラームスは楽譜をそのまま出版しませんでした。1877年5月には第2楽章を大きく改訂し、五つの部分を巡る構成から、三つの部分を基本とする形へ整理します。同年10月末、総譜、パート譜、本人によるピアノ連弾版が出版されました。現在よく演奏されるのは、この改訂を経た形です。[1]
その1877年の夏には、すでに《交響曲第2番》の作曲も進めていました。こちらは同年中に完成し、12月30日にウィーンで初演されています。第1番までの長い年月に比べると、次の交響曲は驚くほど早く現れました。[10]
第2番では、より伸びやかな歌や牧歌的な音色が前へ出ます。第1番から続けて聴けば、二曲の冒頭から響きの違いを楽しめるでしょう。
楽譜でも確かめたい方は、IMSLPの《交響曲第1番》作品ページから。
参考資料・画像出典
- G. Henle Verlag:交響曲第1番、Robert Pascallによる校訂版序文
1862年の稿、1868年の挨拶、レーヴィへの言葉、初演、第2楽章改訂、出版。 - Los Angeles Philharmonic:Symphony No. 1(Orrin Howard)
初期の交響曲への試み、主題の変形、各楽章の特徴。 - Krannert Center for the Performing Arts:Staatskapelle Weimar公演プログラム
冒頭の上行・下行、独奏、第3楽章、終楽章の推移。 - Boston Symphony Orchestra:Symphony No. 1 in C minor, Opus 68(Marc Mandel)
編成、ベートーヴェンとの関係、主題、トロンボーンとコラール、初期の反応。 - Fort Worth Symphony Orchestra:2021年11・12月プログラム(Jeremy Reynolds)
第3楽章冒頭のクラリネットとピッツィカート。 - Burgess Hill Symphony Orchestra:Brahms, Symphony No. 1
ビューローによる「ベートーヴェンの第10番」という呼び方。 - Schott:Symphony No. 1、校訂版解説プレビュー
デッソフへの手紙、初演後のブラームス自身の指揮。 - Brahms-Institut Lübeck:作品68の資料目録
成立期間、初演日と会場、筆写総譜。 - IMSLP:Symphony No.1, Op.68
楽章表記、調性、出版情報、旧版総譜の掲載先。 - Fort Worth Symphony Orchestra:Symphony No. 2(Ken Meltzer)
第2番の1877年夏の作曲と同年12月30日の初演。
歴史資料の作者・年代・利用条件と出典は、各画像のキャプションに記載しています。図解は作品の構成を示すオリジナルで、楽章の副題はこの記事の鑑賞案内です。情景画像と抽象画は創作イメージです。

