「私のお父さん」は、遺産争い最中に歌われる

亡くなった富豪のベッドを囲み、親戚たちが泣いています。けれど、その涙は少し大げさ。やがて遺産が自分たちに入らないとわかると、部屋は怒りと悪態でいっぱいになります。
そんな喜劇の中で、ソプラノの名曲「私のお父さん」が歌われます。優しい旋律に乗せて娘が訴えるのは、好きな人と結婚したいという願い。歌を聞いた父は遺言書を受け取り、親戚たちの相談に乗り始めます。
プッチーニの『ジャンニ・スキッキ』は、欲深い親戚たちと知恵者の父親が遺言をめぐって駆け引きする、およそ1時間の一幕物です。恋の行方も、財産の行き先も、最後に遺言を口にする男の胸先ひとつにかかっています。[1][2]
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基本情報
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 原題 | Gianni Schicchi |
| 作曲 | ジャコモ・プッチーニ |
| 台本 | ジョヴァッキーノ・フォルツァーノ |
| 題材 | ダンテ『神曲』地獄篇第30歌と、それにまつわる古い注釈の逸話 |
| 初演 | 1918年12月14日、ニューヨークのメトロポリタン歌劇場 |
| 言語・構成 | イタリア語・全1幕 |
| 舞台 | 1299年のフィレンツェ。ブオーゾ・ドナーティの寝室 |
| 演奏時間 | 約55〜60分。単独上演では通常、途中休憩なし |
| 公演全体の長さ | 併演作品で変わります。『三部作』全曲では休憩込みで3時間半〜4時間程度が目安 |
| 作品の位置づけ | 『外套』『修道女アンジェリカ』と組になる『三部作』の最後の作品 |
上演時間の一例として、英国ロイヤル・オペラの2027年公演案内では、本作を55分、『三部作』全体を休憩2回込みで3時間40分としています。[3][4][5]
1分でわかるあらすじ
フィレンツェの富豪ブオーゾが亡くなり、親戚たちは遺産を期待します。ところが、財産を修道院へ譲る遺言が見つかります。一族の青年リヌッチョも、相続で裕福になれば、持参金のない恋人ラウレッタとの結婚を認めてもらえるはずでした。
困った一同が頼るのは、ラウレッタの父で知恵者のジャンニ・スキッキです。娘からも助けを求められた彼は、まだ死が周囲に知られていないブオーゾになりすまし、公証人に新しい遺言を書かせます。
親戚たちは自分たちの取り分を期待しますが、スキッキは家や水車小屋を自分に遺すと宣言します。怒った一同も、不正に協力した自分たちまで罰せられるため、偽者だとは言えません。スキッキは親戚たちを家から追い出して財産を手に入れ、娘とリヌッチョの結婚への道を開きます。[1][2]
登場人物

人数の多い作品ですが、最初は「父娘」「若い恋人」「遺産を狙う親戚」という関係を押さえておけば十分です。
| 人物 | 声種 | 役割と関係 |
|---|---|---|
| ジャンニ・スキッキ | バリトン | 機転と物まねの才を持つ男。ラウレッタの父。親戚たちから遺言をめぐる相談を受けます |
| ラウレッタ | ソプラノ | スキッキの娘。リヌッチョと相思相愛。「私のお父さん」を歌います |
| リヌッチョ | テノール | ドナーティ家の若者で、ツィータの甥。ラウレッタとの結婚を願い、スキッキを頼ります |
| ツィータ | コントラルト | ブオーゾの従姉妹。リヌッチョの叔母で、持参金のないラウレッタとの結婚に反対します |
| シモーネ | バス | ブオーゾの従兄弟。一族の年長者で、遺産分配でも自分の立場を利用しようとします |
| ブオーゾ・ドナーティ | 歌唱なし | 開幕時点ですでに亡くなっている富豪。その財産が騒動の発端になります |
ほかに、シモーネの息子マルコと妻チェスカ、ブオーゾの甥ゲラルドと妻ネッラ、その息子ゲラルディーノ、ブオーゾの義理の兄弟ベットが登場します。医師スピネッロッチョ、公証人アマンティオと二人の証人は、スキッキの芝居に巻き込まれる側です。[3]
公証人は、本人の意思を確かめて遺言を正式な文書にする役目です。スキッキは法律の知識も持つ知恵者で、その公証人に偽者を本物だと思い込ませようとします。[1]
詳しい物語――泣いていた親戚たちが、共犯者になるまで
舞台はブオーゾの寝室です。人が出入りするたびに、誰に何を隠さなければならないかが変わっていきます。
遺言書を見つけたら、悲しみの理由が変わった
富豪ブオーゾ・ドナーティが亡くなり、親戚たちはその枕元で嘆いています。ところが、財産は修道院に遺されるらしいという噂が伝わると、誰も落ち着いて祈っていられません。一同は部屋中を探し回ります。そのどさくさで、貧しい親戚のベットは銀のはさみや皿をこっそり懐へ。やがてリヌッチョが遺言書を見つけます。
リヌッチョは、愛するラウレッタとの結婚に希望をつなぎます。彼女には持参金がありませんが、自分が十分な遺産を得られれば、叔母も結婚を認めてくれるはず。遺言書を渡す前に頼むと、ツィータは、相続が期待どおりなら好きな相手と結婚すればよいと応じます。
喜んだリヌッチョは、少年ゲラルディーノを使いに出し、ラウレッタと父スキッキを呼びに行かせます。
ところが、開かれた遺言書に記されていたのは、一族の期待を裏切る内容でした。財産は修道院へ。一同は、修道士ばかりが豊かになると口々に腹を立てます。相続できると思って増やしたろうそくの火まで、シモーネは消してしまいます。
今度の涙は、遺産を失ったことへの本気の涙です。[1]

頼れる男は、親戚たちが見下している男
遺言を変える手はないか。年長者のシモーネにも答えが出せない中、リヌッチョはスキッキなら助けになれると訴えます。
使いの少年が戻り、スキッキが来ると知らせると、親戚たちは大反対します。田舎から出てきた男を見下し、その娘との縁組も嫌っているのです。相続の見込みがなくなり、ツィータも結婚を認める気をなくしています。
リヌッチョは「フィレンツェは花咲く木のように」を歌い、周囲の土地から集まる新しい才能こそが街を豊かにすると反論します。スキッキの出自をさげすむ親戚たちへ、狭い考えを捨ててほしいと訴える歌です。
やって来たスキッキに、ツィータは持参金のない娘には甥をやれないと言い放ちます。怒ったスキッキは娘を連れて帰ろうとし、リヌッチョが助けを求めても聞き入れません。[1]
ラウレッタの願いが、父を引き止める
立ち去ろうとする父の前に、ラウレッタがひざまずきます。「私のお父さん」が歌われるのは、この瞬間です。
ラウレッタは指輪を買いに行きたいと願い、恋がかなわなければヴェッキオ橋からアルノ川へ身を投げたいとまで訴えます。父は折れて遺言書を受け取りますが、読み始めても、どうにもならないと繰り返すばかり。それでも考え続け、やがて一案を思いつきます。
彼はラウレッタをテラスへ出してから、親戚たちに確認します。ブオーゾの死を、外の人間はまだ誰も知らない。それなら、その状態を保つよう指示し、遺体を別室へ運ばせます。[1]

医者をだませた声で、公証人もだます
そこへ、医師スピネッロッチョが訪ねてきます。親戚たちは、病人はよくなって休んでいると説明して、寝室の奥へ進ませまいとします。
スキッキはベッドの幕の陰からブオーゾの声をまね、医師に話しかけます。本人が生きていると信じた医師は、治療の成果に満足して帰っていきます。
医師が去ると、スキッキはようやく計画を明かします。自分がブオーゾの服を着て寝床に入り、公証人に新しい遺言を口述する。生きている本人が意思を変えたことにすれば、以前の遺言を取り消せるという仕掛けです。
親戚たちは大喜びし、リヌッチョが公証人を呼びに走ります。さっきまで見下していたスキッキは、たちまち一族の救世主になりました。[1]
分け前を決めると、仲のよさは長続きしない
一同は抱き合って喜び、遺産の分配を相談します。現金は均等に、各地の土地もそれぞれに。ところが、特に価値のあるフィレンツェの家、シーニャの水車小屋、立派な雌ラバの三つになると、話がまとまりません。
年長者のシモーネが自分のものにしようとすると、ほかの親戚は猛反発します。
その最中、弔いの鐘が聞こえます。ブオーゾの死を知られたのではないかと、一同は凍りつきますが、調べに出たゲラルドによれば別人の死を告げる鐘でした。計画はまだ続けられます。
一同は、争いになった三つの財産を誰に渡すか、スキッキの公正な判断に任せると決めます。
ところが、着替えを手伝いながら、親戚たちは彼に次々と内緒話を持ちかけます。自分に有利な遺言にしてくれれば、お礼を払うという申し出です。スキッキはそれぞれに調子よく応じ、ブオーゾ役の支度を整えます。
寝床へ入る前に、彼は一同に念を押します。他人になりすまして遺言を作れば、本人も共犯者も手を切られ、追放される。劇中で語られる恐ろしい罰を、彼はフィレンツェへの別れの歌にして聞かせます。[1]
その家も、水車小屋も、ジャンニ・スキッキへ
公証人と証人が到着すると、スキッキは手が不自由で自分では書けない病人を装います。暗くした寝室で、遺言の口述が始まります。
ブオーゾに扮したスキッキは、以前の遺言を無効にすると告げ、葬儀の費用や寄付を少額に抑えます。現金は親戚で均等に分け、各地の土地も相談どおりに割り振ります。次に残るのが、一同の奪い合っていた三つの財産です。
雌ラバは、親しい友人ジャンニ・スキッキへ。
続いて家も、シーニャの水車小屋も、同じ男へ遺されます。

親戚たちが怒って騒ぐたび、スキッキはフィレンツェへの別れの旋律を口ずさみます。偽者だと暴けば自分たちも罰せられるため、一同は怒りをこらえて口をつぐみます。公証人には、病人の遺志を邪魔する親戚たちにしか見えません。
遺言は完成します。スキッキは、公証人と証人への謝礼までツィータ自身の財布から払わせます。
公証人たちが去ると、親戚たちは一斉にスキッキへ襲いかかります。スキッキはブオーゾの杖を振るい、自分の家から出ていけと応戦。追い出される一同も、銀器や布を抱え込み、持てるだけ持って逃げ出します。[1][6]
恋人たちを見届けて、最後は客席へ
騒ぎが去ると、リヌッチョとラウレッタがテラスに残ります。二人はフィレンツェを眺め、愛を誓ったときのことを歌います。

戻ってきたスキッキは二人の姿を見て、客席へ進み出ます。ブオーゾの金の行き先として、これよりよい使い道があっただろうか。自分はこのいたずらのために地獄へ落とされたが、今夜楽しんでもらえたのなら、罪を軽く見てほしい。
最後の頼みは歌ではなく語りです。スキッキは拍手を促すしぐさを見せ、観客に一礼します。[1]
有名曲と聴きどころ

最初に聴くなら、やはり「私のお父さん」がおすすめです。そこからリヌッチョのアリア、スキッキの計画を語る場面へ進むと、この作品全体が見渡せるでしょう。
1.「私のお父さん」――優しい歌で、父を動かす

O mio babbino caro/ラウレッタ
ゆったり揺れる伴奏に乗って、ソプラノの旋律が高い音へ広がります。声が上へ向かうときの切実さと、歌の終わりで父へ繰り返し懇願する響きに耳を向けてください。短い曲の中に、憧れ、焦り、甘えをどう配分するかで印象が変わります。
歌い手が父を見るタイミングや、呼びかけの前に取る間も見どころです。恋にひたむきな娘にも、父の弱点をよく知る娘にも見えるところに、舞台で聴く面白さがあります。
2.「フィレンツェは花咲く木のように」――恋する青年が、街の未来を歌う
Firenze è come un albero fiorito/リヌッチョ
鋭い呼びかけで親戚に反論したあと、テノールが長い旋律を伸びやかに歌います。言葉を強く打ち出す部分と、息の長い歌の線が続く部分の違いが聴きどころです。
街を大きな花咲く木にたとえる歌詞では、外から来る人々が根を通して新しい力を運びます。最後にスキッキをたたえるところへ向け、声が勢いを増していく流れも楽しめます。
3.「公証人のところへ走って行く」――一人で芝居を組み立てる
Si corre dal notaio/ジャンニ・スキッキ
スキッキが計画を説明する場面です。急いで使いを出す様子、公証人がやって来る様子、寝床の病人を演じる様子が、次々と声に現れます。
バリトンの立派な響きだけでなく、言葉の速さ、声色の切り替え、説明を聞く親戚の反応が聴きどころ。頭の中で思いついた芝居を、その場で実演してみせるような音楽です。
4.「さらばフィレンツェ」――覚えやすい旋律が、親戚の口を封じる
Addio Firenze, addio cielo divino/スキッキと親戚たち
スキッキが歌った旋律を、親戚たちも恐れながら繰り返します。まずは一緒に覚えるつもりで聴いておくと、遺言の場面で彼が口ずさんだ瞬間に気づけます。
再登場のときには、大きく歌い上げる必要がありません。少し聞こえるだけで親戚の反応が変わるため、声の小ささや何食わぬ歌い方が、かえっておかしさを生みます。
5.遺言を口述する場面――全員の顔を見たくなる音楽
Lascio la mulaからの場面/スキッキ、公証人、親戚たち
家、ラバ、水車小屋が誰のものになるか。その名前を告げるまでの間に、一同の期待が集まります。スキッキの名前が出た直後には、親戚の怒りと、公証人の事務的な進行がぶつかります。
映像で観るなら、主役だけでなく周囲の表情にも注目してください。誰が立ち上がり、誰が抗議を飲み込み、誰が平静を装うか。重なった声が、それぞれの思惑を伝えてくれます。
親戚を黙らせる法律と、「娘のため」という言い分

公正さを任せた相手に、分配する力を渡してしまう
親戚たちは、見下していたよそ者に助けられると、手や服に口づけするほど彼を持ち上げます。分け前で争った末には、公正な判断をしてくれと頼みながら、裏では一人ずつ賄賂を申し出ます。
公平に決めてほしいという建前と、自分だけを優遇してほしいという望みが、同じ人の中にあるのです。
一同は、彼を自分たちの望むとおりに働かせられると思っています。ところが公証人の前では、財産の持ち主を演じる彼だけが遺言の内容を決められます。親戚がその内容に口を挟んでも、公証人は「本人」の意思を尊重するよう求めます。
娘への愛情と、自分の利益が一緒にかなう
ラウレッタが父に頼んだのは、愛する人と結婚できるようにすることです。スキッキは娘をテラスへ出し、リヌッチョがついていくのを止めてから、一同に具体的な指示を始めます。
最後に財産を得る名義はスキッキ自身ですが、その結果、娘には持参金を用意できる見通しが生まれ、ツィータが結婚を拒んだ経済的な障害が取り除かれます。
だからこそ、若い二人を示しながら罪を軽く見てほしいと頼む最後の言葉にも、すんなりうなずきたくなります。そこで拍手すれば、観客も彼の弁護に一役買うことになるのです。[1]
ダンテが地獄へ送った男を、プッチーニが喜劇の主役に
三つの短いオペラを、一晩で観せる構想
『ジャンニ・スキッキ』は、『外套』『修道女アンジェリカ』に続く『三部作』の最後に置かれています。『外套』は嫉妬と殺人を描く暗い劇、『修道女アンジェリカ』は母と子の別離を扱う悲劇です。三作目の喜劇で、人々の声の調子も舞台の速度も大きく変わります。
この組み合わせが整うまでには、題材探しが必要でした。1917年3月のプッチーニの書簡には、フォルツァーノがフィレンツェで『ジャンニ・スキッキ』のための調査をしていることが記されています。[7]
題材となったのは、ダンテ『神曲』地獄篇第30歌に登場する、他人になりすまして遺言を作った男です。フォルツァーノは14世紀の匿名の『神曲』注釈にある逸話も利用し、短い記述から一幕の騒動を組み立てました。プッチーニと台本作者は、ダンテ研究者オラツィオ・バッチにも助言を求めています。[3][7]
舞台の1299年という年代や恋人たちの結末は、このオペラの設定です。
軽快な喜劇の終わり方に、作曲者は苦心した

本作の本格的な作曲は、『修道女アンジェリカ』を仕上げたあとの1917年秋に進み、翌年4月まで続きました。[7][9]
大勢が同時に歌う場面は、楽譜を書く紙にも影響しています。1918年2月、プッチーニは声楽の段が多い用紙を出版社に注文しました。自筆総譜には、声楽用の五線が通常の6段から8段に増えた用紙が使われています。[12]
軽々と転がるように聞こえる音楽も、結末まで順調に書けたわけではありません。4月1日には終結部の難しさを出版社へ伝えています。完成を報告したのは4月19日。自筆総譜の末尾には「1918年4月20日、ヴィアレッジョ」と記されています。[7][12]
作曲者のいない初演で、「私のお父さん」が繰り返された
1918年12月14日、『三部作』はニューヨークのメトロポリタン歌劇場で初演されました。スキッキ役はジュゼッペ・デ・ルーカ、ラウレッタ役はフローレンス・イーストン。指揮はロベルト・モランツォーニです。[10]

プッチーニ本人は、この初演に立ち会っていません。第一次世界大戦の休戦から約1か月後でしたが、大西洋を渡る旅にはまだ不安があり、翌月のローマ初演への備えも必要でした。[11]
初演当日、イーストンの歌う「私のお父さん」は、聴衆の求めに応じてその場で繰り返されました。批評家W・J・ヘンダーソンも、彼女の成功とアンコールを記しています。劇場総支配人ガッティ=カザッツァが作曲者へ送った電報によれば、アンコールを禁じる方針があっても、聴衆の要求を抑えられなかったのです。[8][10]
初演後も手を加えられた、テノールの名場面
プッチーニが自分で舞台を見届けたのは、1919年1月11日、ローマのコスタンツィ劇場でのイタリア初演でした。その前後にも楽譜への手直しが続きます。[7][9]
変更の一つが、リヌッチョの「フィレンツェは花咲く木のように」です。1919年には、この独唱とその前後が半音高く改められました。喜劇の若者に与えた長い歌も、初演後まで調整の対象だったことがわかります。[3][12]
三作の中でも『ジャンニ・スキッキ』は特に高く評価され、その後はほかの短いオペラと組み合わせても上演されるようになりました。[8]

参考資料
参考資料 1| ジョヴァッキーノ・フォルツァーノ『Gianni Schicchi』イタリア語台本。物語の順序、舞台指示、歌い出し、結末を確認。
参考資料 2| 新国立劇場『Eine florentinische Tragödie / Gianni Schicchi』2025年公演案内。あらすじと上演形態を確認。
参考資料 3| Centro Studi Giacomo Puccini「Gianni Schicchi SC88」。台本の典拠、舞台年代、人物関係、声種を確認。
参考資料 4| ローマ歌劇場歴史資料「Gianni Schicchi」。初演、言語、構成を確認。
参考資料 5| Royal Ballet and Opera「Il trittico」。2027年公演の予定演奏時間と休憩込みの時間を確認。
参考資料 6| Royal Ballet and Opera「Gianni Schicchi」。遺言の策略と罰の警告を確認。
参考資料 7| Giacomo Puccini — Catalog of the Works「Gianni Schicchi: Notes」。1917年の台本準備、原作、バッチへの相談、作曲の順序、終結部の苦心と完成報告、初演前後の改訂を確認。
参考資料 8| Metropolitan Opera「Il Trittico」。初演後の電報に記されたアリア再演、初演時の評価、その後の上演史を確認。
参考資料 9| Giacomo Puccini — Catalog of the Works「Gianni Schicchi」。作曲時期、作曲者が出席したイタリア初演を確認。
参考資料 10| Metropolitan Opera Archives・1918年12月14日の初演記録。初演配役・指揮者と、W・J・ヘンダーソンの初演批評を確認。
参考資料 11| メトロポリタン歌劇場『Il Trittico』2018年12月8日公演プログラム。Program Note、印刷ページ42C–42D。作曲者が世界初演に立ち会えなかった事情、初演の反響を確認。
参考資料 12| Giacomo Puccini — Catalog of the Works「Gianni Schicchi: Sources」。自筆総譜の用紙・末尾の日付、リヌッチョの独唱と前後の移調を確認。
画像の出典
プッチーニの肖像:A. Dupont, New York/1908。Public domain(米国)。Wikimedia Commonsの資料ページ
初演時のラウレッタ:撮影者不詳/1918-12-14。Public domain(米国)。Wikimedia Commonsの資料ページ
1918年の遺言場面:White Studios/1918(1921年刊行物所載)。Public domain(米国)。Wikimedia Commonsの資料ページ


