ヴェルディ《ナブッコ》あらすじ・聴きどころを解説|王冠を失った王と、故郷を歌う人々

故郷を歌う合唱の向こうに、王と娘の争いがある

古代バビロンを思わせる川辺と夜明けの光

遠い故郷へ、思いだけでも飛んでいってほしい。

捕らわれた人々が歌う〈行け、わが思いよ、金色の翼に乗って〉は、ヴェルディのオペラ《ナブッコ》で最もよく知られる音楽です。大勢の声が一つの旋律をたどり、帰れない土地への思いを静かに広げていきます。

その歌が響くまでに、王家では激しい権力争いが起きています。長女として育ったアビガイッレは、出自の秘密を知り、王位を奪おうとします。王は自らを神と呼び、雷に打たれて正気を失います。

《ナブッコ》では、征服されたヘブライ人たちの運命が、征服者の家族の争いに左右されます。国を動かしていた王が、自分の娘一人を救えなくなる。その危機を、ヴェルディは激しい二重唱と切実な祈りによって描きます。

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基本情報

項目内容
作品名《ナブッコ》Nabucco。初演時の題名は《ナブコドノゾール》Nabucodonosor
作曲ジュゼッペ・ヴェルディ
台本テミストークレ・ソレーラ
主な素材旧約聖書、アニセ=ブルジョワとフランシス・コルニュの戯曲、アントニオ・コルテージのバレエ
初演1842年3月9日、ミラノ・スカラ座
言語・構成イタリア語、全4部。一般に全4幕とも表記されます
舞台紀元前6世紀のエルサレムとバビロン
演奏時間約2時間10分〜2時間20分
劇場での所要時間休憩込みで約2時間40分〜3時間が目安

[1][3][6][9]

1分でわかるあらすじ

バビロニア王ナブッコはエルサレムを征服し、ヘブライ人を捕虜にします。ところが、実の娘フェネーナは捕虜たちを助け、彼らの信仰を受け入れます。

王の長女として育ったアビガイッレは、自分が王の実の娘ではないと知り、王家への復讐を企てます。やがてナブッコが自らを神と名乗り、雷に打たれて正気を失うと、アビガイッレが王位を奪います。混乱する王にヘブライ人の処刑を承認させ、改宗したフェネーナも処刑しようとします。

娘の命が危ないと知ったナブッコは、かつて侮辱したヘブライの神に救いを求めます。正気を取り戻した王は、娘の処刑を止め、捕虜たちを解放します。毒を飲んだアビガイッレは、許しを求めて息を引き取ります。

登場人物――王の家族と、二つの信仰

ナブッコとフェネーナは父娘。アビガイッレは長女とされるが血縁はない。フェネーナとイズマエーレは恋人、アビガイッレは彼に片思い。ベーロの大祭司はアビガイッレを支持し、ザッカーリアはフェネーナを信仰へ導く。
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人物・声種役割と関係
ナブッコ(バリトン)バビロニア王。エルサレムを征服します。フェネーナの父で、アビガイッレも長女として扱われてきました
アビガイッレ(ソプラノ)王の長女と信じられている女性。実際には奴隷の子で、イズマエーレへの恋と王位への野望を抱いています
フェネーナ(メゾソプラノ)ナブッコの娘。イズマエーレを愛し、ヘブライ人の信仰を受け入れます
イズマエーレ(テノール)エルサレム王の甥。かつてバビロンで捕らわれた際、フェネーナに救われました
ザッカーリア(バス)ヘブライ人の宗教的指導者。神への信頼を説き、捕らわれた人々を導きます
ベーロの大祭司(バス)バビロンの神ベーロに仕える祭司。捕虜の解放を進めるフェネーナに反発し、アビガイッレを支持します

このほか、王に忠実な老臣アブダッロ、ザッカーリアの妹アンナが登場します。

人物関係で押さえておきたいのは、フェネーナとアビガイッレが同じイズマエーレを愛していること、そしてアビガイッレがナブッコの実の娘ではないことです。[1][5]

詳しいあらすじ|第1部「エルサレム」

敵国の王女を救えば、味方を裏切ることになる

エルサレムの神殿では、ヘブライ人たちが迫り来るバビロニア軍を恐れ、神に救いを求めています。指導者ザッカーリアが人々に示した頼みの綱は、人質として捕らえている敵王の娘フェネーナでした。王女を手元に置くことで、ナブッコとの交渉の余地を残そうとしているのです。

フェネーナの見張りを任されたイズマエーレには、彼女を守りたい理由がありました。以前、使節としてバビロンへ赴いて投獄された彼を、危険を冒して逃がしてくれたのがフェネーナだったからです。二人は愛し合っていますが、今度は彼女が彼の国の人質になっています。

そこへ、アビガイッレがヘブライ人に変装した兵士たちを率いて入り込みます。彼女もイズマエーレを愛しており、その愛に応えるならヘブライ人たちを救えると持ちかけますが、彼の心は変わりません。

やがてナブッコが現れると、ザッカーリアはフェネーナを殺す構えを見せ、王の侵入を食い止めようとします。イズマエーレはとっさにザッカーリアを制し、フェネーナを父のもとへ解放してしまいます。

神殿でフェネーナをかばうイズマエーレと、短剣を持つザッカーリア

最後の切り札を失ったヘブライ人たちは、イズマエーレを裏切り者と責めます。ナブッコは神殿の破壊を命じ、人々は征服者の捕虜となります。[5・第1部]

詳しいあらすじ|第2部「不信心な者」

出自を記した一枚の文書と、王位を奪う機会

捕らえられたヘブライ人たちとともに、舞台はバビロンへ移ります。ナブッコがさらに戦いを続ける間、国を預かっているのはフェネーナです。

アビガイッレは、王が隠していた文書を見つけます。そこに記されていたのは、自分が王の実の娘ではなく、奴隷の子であるという事実でした。長女として扱われながら、国を任されたのはフェネーナ。その不満に、自分の地位を揺るがす出自の秘密が重なります。

出自を記した文書を手にするアビガイッレ

アビガイッレは、かつては自分も愛や喜びを知っていたと歌います。けれども、ベーロの大祭司がもたらす知らせが、彼女を王位へ向かわせます。フェネーナがヘブライ人の捕虜を解放しており、祭司たちはそれを裏切りと見なしているというのです。

彼らは、ナブッコが戦死したという噂も流していました。アビガイッレは祭司たちと手を組み、王位を奪う決意を固めます。

王は神を名乗り、雷に打たれる

宮殿では、ザッカーリアが〈預言者たちの唇に〉(Tu sul labbro de’ veggenti)と祈り、自分を通して神の言葉が人々に届くよう願います。低い弦の響きに支えられた歌の後、彼は聖典を携えたレビ人とともに、フェネーナの部屋へ向かいます。

一方、神殿での行動を理由に、宗教的な務めに就くレビ人たちがイズマエーレを責めています。そこへフェネーナとともに戻ったアンナとザッカーリアが、彼女の改宗を告げます。イズマエーレが救った女性は、今や同じ信仰の仲間であるとして、彼への非難をやめさせます。

アブダッロが王の死の噂を伝え、フェネーナに逃げるよう促します。続いてアビガイッレと大祭司たちが入り、王冠を要求。フェネーナが拒んだところへ、生きていたナブッコ本人が帰還し、王冠を自分の頭に載せます。

ところが、王の宣言はそこで止まりません。バビロンの神もヘブライ人の神も否定し、ただ一人の神は自分だと、人々に崇拝を要求します。フェネーナがヘブライ人とともに死ぬと答えると、娘にまで服従を強います。

その瞬間、雷が王冠を打ちます。ナブッコは正気を失い、恐ろしい幻におびえ、娘に助けを求めます。混乱の中でアビガイッレが王冠を拾い上げ、自らの手に収めます。[5・第2部]

雷に打たれたナブッコと、落ちた王冠を拾うアビガイッレ

詳しいあらすじ|第3部「予言」

王の印章が、娘の死刑を認めてしまう

アビガイッレが玉座に就き、大祭司はヘブライ人と、彼らの信仰に加わったフェネーナの処刑を求めています。

そこへ、精神の混乱が残るナブッコが現れます。アビガイッレは二人きりになると、ヘブライ人の死刑命令を承認するよう迫ります。ためらう王を、恐れているのかと挑発し、その自尊心を刺激するのです。

ナブッコは怒りに駆られ、王の印章を備えた指輪を用いて、死刑命令を承認します。直後にフェネーナのことを思い出しますが、アビガイッレは、改宗した彼女も死刑を免れないと告げます。

ナブッコはアビガイッレを奴隷と呼び、その出自を証明する文書を探します。しかし、その文書はすでに彼女の手中にあり、目の前で引き裂かれてしまいます。

文書を破るアビガイッレに娘の命を願うナブッコ

もはや王の命令は通じません。ナブッコは、女王と呼ばれたければそう呼ばせればよい、ただ娘の命だけは返してほしいと頼みます。アビガイッレは、その懇願を退けて王を幽閉させます。

ユーフラテス川のほとりで、故郷へ思いを送る

場面が変わり、鎖につながれて働くヘブライ人たちが現れます。ここで歌われるのが〈行け、わが思いよ、金色の翼に乗って〉です。

人々は故郷の丘、ヨルダン川、崩されたエルサレムの塔を思い浮かべます。歌の終わりには、苦しみに耐える力を与える音楽を求めます。

続いてザッカーリアが、嘆く人々に立ち上がれと呼びかけます。鎖が断たれ、バビロンが滅びる未来を告げると、人々もその予言に声を合わせます。[5・第3部]

ユーフラテス川のほとりで捕囚の民に予言を告げるザッカーリア

詳しいあらすじ|第4部「砕かれた偶像」

王が祈ったのは、征服した人々の神だった

宮殿の一室に閉じ込められたナブッコは、眠りから覚めても、まだ戦いの記憶にとらわれています。外からフェネーナの名が聞こえ、娘が鎖につながれて処刑へ連れていかれる姿を目にします。

助けに行こうとしても、扉は閉ざされたままです。ナブッコはひざまずき、自分が侮辱したヘブライの神に許しを求めます。神殿を再建し、これまでの信仰を捨てると誓う祈りが〈ユダの神よ〉です。

王冠を外し、閉ざされた宮殿で祈るナブッコ

祈りの中で正気を取り戻した王に、忠臣アブダッロと兵士たちが力を貸します。アブダッロが王位の奪還を口にすると、ナブッコが答えるのは、フェネーナを救いたいという願いでした。王は剣を取り、兵士たちを率いて駆け出します。

処刑の中止と、アビガイッレの最期

処刑場では、フェネーナがザッカーリアの前にひざまずき、死を前にした祈りを歌っています。そこへナブッコが到着し、処刑を止めます。王がベーロの像の破壊を命じると、像はひとりでに崩れ落ちます。

ナブッコはヘブライ人たちの帰郷を認め、エルサレムに神殿を建て直すよう告げます。人々が神をたたえる中、毒を飲んだアビガイッレが、二人の女性に支えられて現れます。

アビガイッレはフェネーナに許しを求め、ナブッコには、フェネーナとイズマエーレの二人を託します。そしてヘブライの神に祈り、息を引き取ります。ザッカーリアはナブッコに、神に仕えることで王たちの王となるだろうと告げます。[5・第4部]

有名曲と聴きどころ|まずは〈行け、わが思いよ〉から

川辺に置かれた古代の竪琴

最初の一曲には、第3部の合唱〈行け、わが思いよ、金色の翼に乗って〉がおすすめです。そこから、アビガイッレの激しい独唱、王の祈りへと進むと、この作品の表情の幅をつかめます。

1.序曲――祈りと熱気を、開幕前に聴く

冒頭の金管の厳かな響きに続き、音楽は勢いを増していきます。途中には〈行け、わが思いよ〉の旋律も現れ、穏やかな歌と鋭いリズムの対照を、幕が開く前から耳にできます。

注目したいのは、音量だけでなく音色の変化です。金管の重み、木管の柔らかな歌、弦の勢いを聴き分けると、短い序曲の中にも場面が切り替わるような動きを感じられます。

2.アビガイッレのアリア――優しい記憶から、王位への野望へ

第2部の〈私もかつては喜びに心を開いた〉(Anch’io dischiuso un giorno)から〈すでに私は黄金の玉座に上る〉(Salgo già del trono aurato)へ続く場面です。

前半は、柔らかくつなぐ旋律に細かな装飾が加わります。後半では音楽が速くなり、大きな音の跳躍と、素早く動く歌が続きます。低い声の力強さから高音の鋭さまで、音域の広さも印象的です。

前半の繊細さをどれほど残し、後半でどのくらい攻撃的な声へ変えるか。歌手による人物の描き分けも聴き比べられます。

3.ナブッコとアビガイッレの二重唱――父の懇願を、娘が退ける

第3部で死刑命令が承認された後、ナブッコが〈どうか許してくれ、錯乱する父を〉(Deh perdona, deh perdona)と歌う場面に注目してみてください。

ナブッコの歌は、言葉を重ねてすがるように進みます。それをアビガイッレが鋭く退け、二つの声が重なります。同じ伴奏の上で、一方は許しを願い、一方は相手を追い払う。その歌い方の違いに、二人の力関係が表れます。

4.〈行け、わが思いよ、金色の翼に乗って〉――大勢が一つの記憶を歌う

原語の歌い出しは「Va’, pensiero, sull’ali dorate」。日本語では〈行け、わが思いよ、黄金の翼に乗って〉とも呼ばれます。

冒頭では、多くの声が同じ旋律をたどります。声が互いに競い合わず、言葉と旋律を共有するため、一人の思いがそのまま人々全体の思いとして聞こえてきます。

「わが祖国よ」と呼びかけるところでは、声の響きが大きく膨らみます。やがて声部が重なり合い、終わりには静かな響きが残ります。全員の子音のそろい方や、長い旋律を支える息の流れにも耳を向けてみてください。

5.〈ユダの神よ〉――ナブッコの声から、命令が消える

第4部の「Dio di Giuda」では、ナブッコが長く穏やかな旋律を歌います。第2部で神を名乗った場面の断言するような歌と比べると、言葉の運びが大きく変わっています。

声の力を抑えた言葉がどれほど切実に届くか、歌い手による違いも楽しめる場面です。祈りの後、兵士たちと行動を起こす力強い音楽へ変わるところまで続けて聴くと、王の回復がよく分かります。

6.フェネーナの祈り――処刑を前に、空へ向かう歌

第4部の〈ああ、大空は開かれた〉(Oh dischiuso è il firmamento!)は、フェネーナが天に迎えられることを思い描いて歌う短い独唱です。

重苦しい行進の後で、旋律がゆったりと広がります。メゾソプラノの温かな響きと、上へ伸びていく旋律を聴くと、死を前に天を仰ぐ歌詞の内容が伝わってきます。[4][5・各部]

王冠を持つ者と祈る者――立場が入れ替わるドラマ

宮殿の床に置かれた王冠と破れた紙

アビガイッレは、王女をひざまずかせる日を夢見る

アビガイッレの行動を追うとき、恋敵への嫉妬に加えて、出自への怒りに目を向けると人物が立体的になります。

第2部の歌詞で彼女が思い描くのは、王女たちが、奴隷の子である自分のもとへ嘆願に来る姿です。王家に認められることを求める気持ちが、王族の側を従わせたいという願いへ変わっています。

第3部では、実際にナブッコが娘の命を願い出ます。アビガイッレは、血筋の証明を破り捨てる一方で、王自身に死刑命令を承認させ、衛兵を動かします。自分の出自を示す文書は消し、王の権威を利用する命令書は残す。二つの書類への正反対の扱いが、権力を握る彼女の手順をよく示しています。

人々が求めた「苦しみに耐える力」を、王も必要とする

〈行け、わが思いよ〉の最後で、ヘブライ人たちは、苦しみに耐える力を与える歌を求めます。次の第4部でナブッコが歌う祈りも、どうにもできない苦しみから始まります。

両者を続けて聴くと、支配される民と支配していた王が、ともに自分の力の及ばない状況で祈っていると捉えられます。王冠を失ったナブッコは、かつて自分が捕らえた人々と同じように、自由を奪われ、救いを必要とする立場に置かれます。

ザッカーリアは、合唱の後にバビロンの滅亡を予言しますが、終幕では改心したナブッコの王権を認めます。ザッカーリアの王への態度を変えるのは、その改宗と捕虜の解放です。劇は、王がどの神に従い、捕虜をどう扱うかという選択によって決着します。[5]

28歳のヴェルディを押し上げた出世作

若いヴェルディの肖像
ジュゼッペ・モルテーニによるヴェルディの肖像(1840年)。 作者:Giuseppe Molteni。Public domain。Wikimedia Commons

家族の死と前作の失敗を経て、三作目へ

《ナブッコ》の前、ヴェルディは二人の幼い子どもと妻マルゲリータを相次いで失っていました。1840年には喜劇オペラ《一日だけの王様》が初演で失敗し、作曲家としても厳しい時期を迎えます。

そのヴェルディに新しい台本を勧めたのが、スカラ座の興行主バルトロメオ・メレッリでした。台本を書いたのはソレーラ。聖書の物語に、王家の争いと恋愛を組み合わせた劇でした。

ナブッコの1842年台本
1842年の台本。表題には初演時の作品名が記されています。 作者:Ricordi(刊行)/shakko(資料撮影)。Public domain。Wikimedia Commons

ヴェルディは後年の回想で、台本にあった〈行け、わが思いよ〉の言葉が目に留まり、再び作品へ引き込まれていったと語っています。

1842年3月9日、三作目となる《ナブッコ》がスカラ座で初演され、大きな成功を収めます。初演時のヴェルディは28歳。この成功が、続く新作の依頼と本格的な躍進につながりました。[2][6]

アビガイッレを初演した歌手は、のちの妻だった

初演でアビガイッレを歌ったのは、ジュゼッピーナ・ストレッポーニです。ナブッコ役はジョルジョ・ロンコーニが務めました。

ジュゼッピーナ・ストレッポーニの肖像
ストレッポーニの肖像(作者不詳、1840年代半ば)。 作者:作者不詳。Public domain。Wikimedia Commons

ストレッポーニは、のちにヴェルディと暮らし、妻となります。作曲家の出世作の初演を、後半生をともにする歌手が支えていたのです。

ロンコーニの演技も、同時代の批評に印象を残しました。1842年の『ガゼッタ・ムジカーレ・ディ・ミラノ』は、正気を失うナブッコの場面で、彼の表現を高く評価しています。大合唱の力に加え、王個人の崩壊を演じる歌手の存在も、早くから注目されていました。[4][7]

ジョルジョ・ロンコーニの肖像
ナブッコ役を初演したジョルジョ・ロンコーニ(Guillet、制作年不詳)。 作者:Guillet。Public domain。Wikimedia Commons

聖書を素材にした物語と、イタリアの人々の記憶

ソレーラが取り入れた素材には、旧約聖書のほか、フランスの劇作家アニセ=ブルジョワとコルニュの戯曲、コルテージによるバレエがあります。聖書の人物をそのまま舞台化したというより、舞台作品を重ねて作られたドラマです。[1][4]

〈行け、わが思いよ〉の故郷への嘆きには、詩編第137編の「バビロンの川のほとりで」という状況が重なっています。捕囚の民が失われた土地を思う言葉は、のちにイタリアの統一への願いとも強く結びつきました。

この歌の意味は、上演される時代とともに重なっていきます。初演の成功と、その後に育った愛国的な象徴としての受容を分けて見ると、《ナブッコ》の長い歩みをたどれます。[3][8]

1901年、ヴェルディとストレッポーニの遺骸が、ミラノの記念墓地から音楽家のための憩いの家へ移される際には、トスカニーニが約800人の合唱を指揮し、〈行け、わが思いよ〉が歌われました。若いヴェルディの名を広めた作品の合唱が、晩年に彼自身が設けた施設へ二人を送る音楽となりました。[10]

初めて観るなら、王冠・二つの書類・祈る声を追ってみる

最初の鑑賞では、王冠が誰の手にあるかを追ってみましょう。アビガイッレの出自を記した文書と、ナブッコが承認する死刑命令も、意味の異なる二つの書類として覚えておくと、第3部がよく分かります。

〈行け、わが思いよ〉が始まったら、故郷を思う人々の歌に身を任せてみてください。続くザッカーリアの予言、第4部の王の祈りまで聴けば、静かな合唱から再び動き出すドラマを楽しめます。

参考資料

  1. ローマ歌劇場歴史アーカイブ《Nabucco》――初演、構成、人物と声種。
  2. トリノ王立歌劇場・2020年公演解説――家族の死、前作の失敗、メレッリと台本の成立。
  3. メトロポリタン歌劇場・2023年公演プログラム――作品背景、聖書との関係、音楽。
  4. Chandos《Nabucco》録音解説・台本――戯曲とバレエの関係、人物、音楽の構成、ストレッポーニ。
  5. Libretti d’opera《Nabucco》イタリア語台本全文――全4部の場面、行動、曲の歌い出し、結末。
  6. スカラ座・2026年《Nabucodonosor》公演情報――初演成功の位置づけ、舞踊曲の追加、所要時間。
  7. 『Gazzetta Musicale di Milano』1842年、46頁――初期公演の批評、ロンコーニと各場面の音楽への同時代の反応。
  8. トリノ王立歌劇場《Nabucco》プログラム紹介――作品の意味と解釈の変遷。
  9. ロイヤル・バレエ&オペラ《Nabucco》(2021年公演配信版)――演奏所要時間の実例。
  10. トスカニーニ生家博物館・ヴェルディ改葬時の合唱について――1901年の改葬、約800人の合唱とトスカニーニの指揮。

歴史資料画像の出典

若いヴェルディの肖像/Giuseppe Molteni/1840年。Public domain。Commons Fileページ

ジュゼッピーナ・ストレッポーニの肖像/作者不詳/1840年代半ば。Public domain。Commons Fileページ

ナブッコの1842年台本/Ricordi(刊行)/shakko(資料撮影)/1842年(資料)/2011年(撮影)。Public domain。Commons Fileページ

ジョルジョ・ロンコーニの肖像/Guillet/制作年不詳(19世紀の肖像)。Public domain。Commons Fileページ

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